1945年8月6日、広島市内の自宅で被爆した。花火を何倍も大きく明るくした感じ。ものすごい音で思わず「うわあっ」と叫んだ。母、妹と火の手を避け、川の方へ逃げた。堤防にたどり着くと、熱さに耐えかねた人がわんさかと集まっていた。土手の草が大勢の人の血で真っ赤に。熱傷で腕の皮膚がただれぶら下がった女性、髪がない人もいた。大やけどの女性に「水が欲しい」と言われ、茶わんのかけらで飲ませた。女性は「ここで死んだと伝えて」と話すと間もなく息を引き取った。どうすることもできなかった。(2015年本紙取材、当時80歳)

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 今年、終戦から75年を迎えます。戦争の時代を生きた人たちの証言を聞く機会が減りつつある今、これまでの取材や投稿の中から貴重な「言葉」を紹介し、戦争の悲惨さ、平和と命の尊さを見つめ直します。全国の地方紙とも連携します。

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