映画「ドラえもん のび太の新恐竜」の脚本を担当した川村元気さん=2019年12月、東京都千代田区有楽町1丁目の東宝

 3月6日に全国公開される予定だった「映画ドラえもん のび太の新恐竜」は、新型コロナウイルス感染症の影響で8月7日に全国公開されました。この映画は、福井県立恐竜博物館が映画の時代考証をするなど、福井と縁がある作品です。数々のヒット作に携わる映画プロデューサー・小説家で、今回脚本を手掛けた川村元気さんに作品に込めた思いや魅力などについて語ってもらいました。

 ―作品のテーマは「恐竜」ですね。

 「ドラえもん映画38作目『のび太の宝島』の公開後、藤子プロさんから再び脚本を依頼されました。ただ、ドラえもんの連載開始50周年、40作目の記念作品であり、テーマが『恐竜』と聞いて、正直悩みました。恐竜と言えば、1作目の『のび太の恐竜』という素晴らしい作品があり、それと比較されるのは大変だなと」

 「脚本を書くにあたり、よりどころにしたのが藤子・F・不二雄先生が1作目を書いた時の気持ちです。あの物語は『日本にも恐竜がいた』と知った時の感動から始まっていると聞きました。あれから40年がたち、恐竜の学説も日々進化しています。その進化の先にある恐竜の物語を書こうと思いました」

 ―恐竜博物館に訪れて取材したと聞きました。

 「2018年夏に今井一暁監督と一緒に恐竜博物館や化石発掘場を巡り、研究者から話も聞きました。福井での体験や発見、感動が『のび太の新恐竜』の物語のベースになっています。映画では匿名の博物館や発掘場になっていますが、そのまま(博物館などが)出てきますよ」

 ―恐竜博物館の印象はどうでしたか。

 「元々僕は化石とか自然史が好きで国内外の博物館にはよく行きますが、今回初めて訪れた恐竜博物館は想像よりスケールが大きくてびっくりしました。今作品は『ミッシングリンク』がテーマで、恐竜研究の中でまだ埋まっていないピースをのび太が見つける話なんです。福井の化石発掘場で子どもたちが発掘体験しているのを見て、こういう子どもたちが本当に何かを発見するかもしれないというロマンが、現実としてある世界だなと感じました。それをそのままのび太たちに置き換えてストーリー化しています。本当に福井には感謝しています」

 ―取材から脚本完成まではどのような流れでしたか。

 「夏に取材を終え、秋にかけて一気に書き上げました。リアルな学説に基づいた物語を書きたかったので、恐竜博物館の研究者には継続して脚本やコンテを見てもらい、学説的な監修を受けました。もちろんフィクション(創作)なんで飛躍はありますけど、ディテール(細部)にはこだわろうと思いました」

 ―映画には新種の恐竜「キュー」と「ミュー」が出てきますね。

 「1作目の『のび太の恐竜』には首長竜『ピー助』が出てきました。今作品はそのリメークではない新しい物語であることを冒頭で提示したく、新種の双子の恐竜を登場させました。活発で人懐こいメスの『ミュー』と、間抜けで虚弱なのび太に似ているオスの『キュー』で、個性の違いを描いています」

 ―作品を通して伝えたかったことは何ですか。

 「一見、他より劣っていると見えることが、実は進化にとって第一歩になることが生物史を見るとはっきり分かります。恐竜の世界でも、実際そういうことが起きています。取材を通じてそれをメインテーマとして描くべきだと明確に思いました」

 「現実の世界でも多様性が叫ばれる中、それはきれい事ではなく、人類の進化への歩みであるということです。欠点だらけに見える弱い少年のび太と、小さな新恐竜が、進化や成長への第一歩を踏み出すという、そのことの尊さや真実が伝わればと思います」

 ―子どもたちに向けてメッセージはありますか。

 「数十種類という本当にたくさんの恐竜が出てくるんですね。実際に6600万年前の白亜紀の時代には行けないけれど、映画の中だったらタイムマシンに乗って行けます。ぜひちょっとタイムトラベルした気分になって映画を楽しんでもらえたらと思います」

 【略歴】かわむら・げんき 横浜市生まれ。上智大文学部新聞学科卒業後、東宝に入社。「電車男」「告白」「モテキ」などを企画、プロデュース。2011年に優れた映画制作者に贈られる「藤本賞」を最年少で受賞。アニメ映画では「バケモノの子」「君の名は。」「天気の子」などに携わる。脚本家デビューとなった18年の「映画ドラえもん のびたの宝島」はシリーズ最高興収を記録。12年に発表した初の小説「世界から猫が消えたなら」は140万部突破。2作目の「億男」は18年に映画化された。

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