旧制米沢興譲中の滑空部員だった梅津さんは、米沢市の八幡原飛行場でグライダーの滑空訓練に明け暮れていた。風に乗るのが楽しい-との純粋な憧憬(しょうけい)は、次第に軍事色に染められていった。航空兵候補者を養成するため、軍の教官らが学生の訓練を指導するようになった。10代前半の飛行機少年たちの思いは、海軍飛行予科練習生、戦闘機乗りを目指す心へと変わっていった。梅津さんが戦後、飛行場に行くことはなくなった。(2014年山形新聞掲載、当時82歳)

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 今年、終戦から75年を迎えます。戦争の時代を生きた人たちの証言を聞く機会が減りつつある今、これまでの取材や投稿の中から貴重な「言葉」を紹介し、戦争の悲惨さ、平和と命の尊さを見つめ直します。全国の地方紙とも連携します。

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