【論説】来年の7月23日を私たちはどのように迎えているのだろう。17日間にわたるスポーツの祭典に胸を躍らせているだろうか。

 新型コロナウイルスの感染拡大により延期になった東京五輪の開幕まで、あと1年となった。大会組織委員会は、大会を簡素化し開催しようとしている。

 国内の感染者数は首都圏を中心に収束の気配が見えず、世界ではその数は約1500万人に上る。感染対策は国・地域で大きな開きがある。ワクチンや特効薬の開発は途上で、五輪に間に合うかは不透明だ。状況が予断を許さぬ中で開催を目指すなら、選手や観客の安心・安全のため簡素化に努めるのは当然だろう。

 ただ、競技数や会場数に変更はなく、対策が取られるのは各種セレモニーにとどまる見通しだ。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は観客を減らすことも「シナリオの一つ」であることを明らかにした。900万枚を超すチケットのうち既に448万枚が販売されている。対策によっては購入者が入場できなくなるケースが生じよう。組織委には丁寧な説明が求められる。

 地方への影響も気がかりだ。例えば、福井県では全17市町を巡る聖火リレーが簡素化されたり、福井市など5市町が登録しているホストタウンでの交流事業が見送られたりするかもしれない。一生に一度といっていい体験に影を落とすとなれば残念というほかない。

 奇禍ともいえる大会だからこそ、五輪の将来像を考える契機にしたい。

 五輪は近年、肥大化の一途をたどってきた。2014年ソチ冬季大会ではインフラ整備を含めて4兆円超が投じられた。史上最多の33競技339種目が行われる東京大会の経費も、パラリンピックと合わせ1兆3500億円。さらに、延期により数千億円規模が必要といわれている。

 財政負担への懸念は五輪ブランドを揺るがし、招致に二の足を踏む都市が増えた。その結果、立候補したパリとロサンゼルスをそれぞれ24、28年の両夏季大会に振り分けるといったように、IOCは複数の大会の開催都市を早期に確保せざるを得なくなっている。

 「我々は暗いトンネルにいる。しかし五輪がトンネルの先にある光となり、世界中の人々の希望となる」。バッハ会長の言葉である。人々が日常に新しい生活様式を取り入れている今、問われているのは五輪がなぜ必要かだ。ひとつところに集い、スポーツの素晴らしさを共有する。それが光となり希望となる。まさにスポーツの原点だ。五輪がそうした意義を再認識する場となり、新たな日常を紡ぐ力となる来夏であってほしい。

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