著者の随筆を自費出版や翻訳書も含めて集めたことがある。図書館にもほとんど置かれていない。忘れられた聖賢、と惜しんでいた。今年1月から著作選集(全3巻)の刊行が始まった。しびれるような喜びとともに、やはり本物は残るのだとの思いを強くした。

 1922年生まれ。東大哲学科を卒業後、カトリック・ドミニコ修道会司祭の身で信州・八ヶ岳山麓に「高森草庵」を結び、自給自足の農耕生活のかたわら祈りと思索の日々を送った。2003年没。

「稲のすがたは毎年違う。成長変化の様子も違う。毎年、そのときの稲との対話が始まる。事件としての稲そのものが語る言(こと)を聞くのである。それは理念のことばではない。コトことばである。それを百姓は、自分の意識に受け止める。そして自分自身に表現する。そのときには理念ことばが使われている。百姓は毎年一年生だというのはそのためであり、それを自覚しているのが本当の百姓である」(『地下水の思想』)

 短い引用の限界だけではなく、言葉を通して伝えようとしている世界にこちらの理解が及ばない。だがこの人は本当のことを言っているということは分かる。自分にとって著者はそういう存在としてあった。

 著作集の第1巻では、死線を越えて入信し、草庵の暮らしを通してものごとの根源を求めていく足取りがつづられる。この第2巻には世界各地の宗教者や行者との出会い、その果実として1981年に草庵で開かれた「九月会議」の記録が収められている。

 会議では世界11カ国・地域の精神的指導者30人余りが1週間にわたり宗教や言葉の違いを超えて交わり、現代に受難をもたらす物質文明と科学技術に警鐘を鳴らした。戦争、貧困、差別、とりわけ原爆を生み出した原子力への危機感が色濃く映し出されている。

 久々に著者の文章に触れたが、やはりまだ理解が及ばない。ただ彼方を予感させる言葉を眩しく眺めるだけだ。ここはまず、本欄で著者の名を記すことができたことを幸いとしよう。

(日本キリスト教団出版局 2700円+税)=片岡義博

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