【越山若水】93歳で亡くなった元曹洞宗管長の板橋興宗さんは、学生時代に哲学者に「人生とは何ですか」と尋ね歩いた。東北大総長だった高橋里美さんが話した言葉を人から教わり、ずっと記憶にとどめていた▼「お百姓さんが、毎日毎日何もかも忘れて営々と田畑で鍬(くわ)をふるっている。夕方になると鍬を肩にかけてわが家に帰る。あの様子にこそ人生の極意があるのではないか」。当時は「高名な哲学者の答えがそんなものか」と釈然としなかったが、年を重ね納得がいったという。充実した当たり前の一日こそ生きる喜びでありよりよく生きるには「足るを知る」ことが大事なのだと▼エリートとして海軍兵学校に入学したものの間もなく敗戦。結核で長期入院し4年遅れて大学生に。劣等感で不眠症に苦しんだが、禅寺で座禅を体験したことが転機となった。得度後には、8年間の放浪修行をし、がんも患った▼自ら再興し、住職となった越前市の御誕生寺には数十匹の猫がいる。「猫は悩まない。いつも極楽」。過去を悔やまず、未来を憂えず、修行もしていないのに「いま」を生きている▼人間だけが言葉を覚え考えることで迷い悩み右往左往する。「起こったできごとに目くじらをたてるより、ただひと呼吸、ひと呼吸に『いのち』を実感する生き方の方が、はるかに豊かで自由」。自著で優しく語りかけていた言葉が胸に響く。

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