ラグビー2019年W杯チケットの抽選販売手続きが始まり、記念イベントに出席した大野均選手=2018年1月27日、東京・丸の内

 日本のラグビーの暦は昨年のワールドカップ(W杯)の影響で少し後ろにずれていて、5月をもって今シーズンは一区切りとなる。

 もっとも、拡大しつつあった新型コロナウイルス禍のため、トップリーグは3月23日には中止が決まっていた。W杯の盛り上がりがあっただけに残念である。

 シーズンの終わりにあたって、各チームから引退選手のお知らせが届くようになった。中でも、東芝のロック大野均の引退には感慨深いものがある。

 42歳。「キンちゃん」と呼ばれ親しまれた鉄人だった。

 福島の清陵情報高時代は野球部の補欠。バットとグラブでは、己の身体能力を十全に発揮できなかった。

 しかし、福島県郡山市にある日大理工学部に進学すると、192センチの長身がラグビー部の上級生の目に留まる。

 大野自身も楕円球の魅力に取りつかれ、卒業を前に東芝のトライアウトを受けて合格する。これだけでも十分に素敵な物語だが、愚直な東芝のチームカラーは、大野のスタイルに合致した。

 レギュラーポジションを獲得すると、ついには日本代表へと駆け上がり、2007年、2011年、2015年と3大会連続でW杯出場を果たした。

 積み上げた日本代表のキャップは国内最多の98。あと2試合テストマッチに出場していれば「100」の大台に到達していた。

 気がつけば、昨年のW杯が終わってから、南アフリカを破った2015年のW杯に出場した真壁伸弥(サントリー)、トンプソン・ルーク(近鉄)、そして大野のロック陣がそろって引退したことになる。

 いずれも満身創痍、オールアウトでの引退だろう。3人がそろって引退したのは、偶然というよりも、2019年のW杯シーズンまでは続けようという強い思いが支えたのだと思う。

 2015年のW杯の前に、こんなエピソードがある。

 宮崎で行われた合宿は過酷だった。朝5時過ぎからウエートトレーニングがあり、朝食後の「朝寝」の時間までが指定された。そして午前、午後に組まれた3部練習。

 そんな日々が続く中、ロック陣に休みが与えられた。午後から翌日の午前中までの短い休み。

 それでも、大野はお酒好きのロック仲間と飲みに出かける。もちろん、他のメンバーにはバレないように万全の準備をしながら。

 ところが、それがヘッドコーチだった「エディーさん」こと、エディー・ジョーンズ氏になぜかバレた。

 「あなた方の休みは、これでなくなりました」

 シュンとしているメンバーを前に、ヘッドコーチはなおも続けた。

 「いいですか。試合がある週にお酒を飲んでもいいのは、世界で3人だけです」

 エディーさんは最初に南アフリカ、オーストラリアの名選手の名前を挙げた後にこう付け加えた。

 「あと一人は…キンちゃんだけです」

 大野以外のロック陣がズッコケたのは、言うまでもない。

 大野均という男は、名将がその存在を認める豪傑だった。

生島 淳(いくしま・じゅん)プロフィル

1967年、宮城県気仙沼市生まれ。早大を卒業後広告代理店に勤務し、99年にスポーツライターとして独立。五輪、ラグビー、駅伝など国内外のスポーツを幅広く取材。米プロスポーツにも精通し、テレビ番組のキャスターも務める。黒田博樹ら元大リーガーの本の構成も手がけている。

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