【越山若水】最古の正史「日本書紀」の編さんから1300年を迎えた。越前育ちの継体天皇も登場するが、即位をめぐる記述の中に、気になる人物がいる。河内(かわちの)馬飼(うまかいの)首(おびと)荒籠(あらこ)だ▼書紀によると、継体は応神天皇の5代後の子孫だが、他に賢者がおらず武烈天皇の後継者に選ばれた。ヤマト王権の使者が三国に迎えに行ったところ、真意をはかりかねた継体はすぐには承諾しなかった。交流のあった河内地方(大阪府東部)にいる馬飼い集団の長荒籠に相談し、その使者がもたらした情報を聞き即位を決断した。継体は荒籠に感謝し即位後も重用した▼日本列島にもともと馬はいなかった。5世紀ごろ軍事利用のため朝鮮半島から持ち込まれ、飼育が定着したと考えられている。河内は古墳時代を代表する馬の産地。蔀屋(しとみや)北遺跡(同府四條畷市)などから馬の骨や馬関連の遺物が数多く見つかっている▼「『馬』が動かした日本史」(文春新書)を著した歴史ライター蒲池(かまち)明弘さんは、馬の走力によって情報がいち早く届いたとみる。河内の馬飼い集団は王権の内部情報に詳しく現代でいえばインターネットを利用した会員制のニュース配信サービスを行っていたと推定する▼河内の馬飼いは渡来系氏族で朝鮮半島情勢にも詳しかったとの見方もある。継体の情報戦略の一翼を担った荒籠のような補佐役が現代日本にもいたら頼もしいのだが…。

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