「絵」を観るとき。なんとなく、どことなく、構えてしまう私である。「お前に俺の真価がわかるのか?」と、問いかけられているような気がして、こわばる。この絵について、誰かに何かを問われたら、どう答えようか考えている自分がいる。

 それでも、絵に心を掴まれた瞬間というのもいくつかある。タイトルも、画家の名前も忘れてしまった。その絵についての「情報」なんてどうでもよかった。その絵のそばに、ずっといたかった。遠くから眺め、近寄って眺め。距離や角度によって、その絵は鮮やかに表情を変えた。

 キュレーターとして、ニューヨーク近代美術館の勤務歴もある著者による短編集。美術にまつわる著作も多い彼女が描くのは、それぞれ、何らかの絵画が絡んだ物語だ。しかし、その絵についての基礎知識や、画家の人生についてのうんちくなどを強いる作品はひとつもない。絵画は、限りなく脇役。主役は人間。登場人物たちの人生である。

 全戦全滅の就職活動に、追い詰められた青春時代を回顧する女性の物語『ハッピー・バースデー』。広島で、原爆の日に生まれた彼女は、誕生日を必ず故郷で過ごしてきた。でも追い詰められすぎてそのことを忘れかけていた彼女は、リクルートスーツ姿のまま、あわてて新幹線で広島へ帰る。自分は、何者にもなれない。何者になることも許されない。そんな青春を、40を過ぎた彼女が振り返る。彼女を救ったのは、ひろしま美術館に展示されている、ある絵だった。

 『窓辺の小鳥たち』は、大好きで大好きで、片時も離れずに長い時間を過ごした恋人の、巣立ちに揺れる女性の物語だ。恋人は、自分が一生をかけて打ち込みたいものを、彼女の言葉で思い出し、それに本気で取り組むべく、彼女から離れて海外へ渡る。自分の人生を生きる、そのための別離。そんな二人をつなぐのも、ある絵画なのである。

 ただ観る側ではなく、絵を描く側の心理描写に息を呑む『檸檬』。夢を追うことを応援してくれた祖母を、ひとりで死なせてしまった小説家志望の女性の再生を描く『豊饒』。若くして冬山で遭難死した一人息子の魂に寄り添う老夫婦の物語『聖夜』。仕事と健康を失って八方塞がりの女性が、アートの島「直島」を旅する『さざなみ』。1枚の絵の前で、登場人物たちは素直で偽りがない。

 そう。その絵のまえで、取り繕うための言葉を用意する必要はないのだ。ただ、その絵のまえに立つ。それが、すべてだ。

(幻冬舎 1400円+税)=小川志津子

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