実家で料理をしていると、時々父親にこう言われる。「いいお嫁さんになるね〜」。……クソが。そう思いながら、何に対してクソって思ってるのかは、わからない。「女が料理=いい嫁」というダサキモすぎる思考に対して?四十路も見えてきた結婚の予定も、したい気持ちもない娘に何寝言いってんだこのおっさん、ってこと?定年退職で暇してんだから、妻と家事の分担しろよ?……わからない。そのどれかかもしれないし、どれでもないかもしれないし、全部かもしれない。ただわかるのは、この手のモヤモヤを味わうのは、今日が初めてではないということだ。

 フェミニズムには興味があったけど、書評で取り上げることはないと思ってた。だって難しそうなんだもん。と、思いきや、あまりにエキサイティングで、風呂場でもトイレでも布団の中でも読み続け、ついに取り上げてしまった。社会学者・上野千鶴子と漫画家・田房永子の対談だ。

 上野と対談をするのは、過干渉な母親との確執や葛藤を描いた「母がしんどい」や、ふとしたことで夫に手を上げてしまう作者が、怒りを手放すまでをつづった「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」など、赤裸々なコミックエッセーが話題の田房永子。家族や社会のあり方に疑問を抱いていた彼女が、上野千鶴子から直々にフェミニズムについて学ぶ、7時間の記録である。

 話題は母娘問題から始まりセクハラ、結婚・恋愛・子育て、団塊世代と大学闘争、そして性暴力と多岐にわたる。そしてそこには日本のみならず海外の歴史的背景も関わってきて……っていうと難しそうだけど、それがね、とっても痛快なんですよ。対談だから当然口語で、読みやすいってのもあるし、上野がバッサバッサと斬りまくるのが超気持ちいい。1970年代以前、婚前交渉のなかった時代のことを「それまでは一発やったら『責任とって!』の時代よ。一発一生(笑)!」と言い放ったり、ペッティングのことを「アメリカの60年代のデート文化の中で異常に発達した世界的な奇習」と表現する。70年代の女性は「ジーパンで性的主体性を取り戻した」というくだりは信じられないけど本当なんだろうし、家庭から社会を変えることを「一人一殺」と表現する本気度合い。「異性愛セックスにまつわる退屈さって、歌舞伎と似てる」という表現には目から鱗が落ちたし(でも言わんとしていることはよくわかる!)、「私がフェミニストになった理由はね、私怨よ。」と言い切る潔さは格好いい。

 そんな上野に対して田房は、「私、フェミニズムのことちゃんとわかってないけど……」と言いながらも、実体験に基づいて、社会の構造を「A面とB面」と表現する。上野は、彼女のその表現能力の高さに感嘆しながらも、同じことを「ずーっと前に表現してる」のに、それが次の世代に伝わっていなかったことをあらためて知ることになる。

 そのことについて上野は自分たちの世代について、「ふっと後ろを見たら『あれ、誰もついてきてない』みたいな」と語る。その、次世代へ繋げきれなかったことへの力不足を感じていると言う。「その点では田房さんには芸があるよね」と彼女の漫画という表現ツールに触れる上野。それは、「次バトン渡すからよろしくね」という目配せのようにも思えた。

 フェミニズムはじめの一歩としてはかなり盛りだくさんで、消化しきれていないところもあると思う。でも、何度も読み返したくなる、本書はそんな軽やかさも併せ持つのが魅力的だ。

 父の「いい嫁発言」に心の中で舌打ちをしたあの瞬間。私は父にイラついたのか、それとも父を含むおっさん的想像力にイラついたのか。「個人的なことは政治的なこと」というのはウーマンリブの標語らしいが、政治を、歴史を知ると、私の中のモヤモヤは、もっと明確になるのかもしれない。そして舌打ちは、ちゃんと聞こえるようにしよう。自分のためにも、次の人たちのためにも。

(大和書房 1500円+税)=アリー・マントワネット

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