【越山若水】南北朝時代、南朝の忠臣だった武将の新田義貞が灯明寺畷(なわて)(現在の福井市新田塚町)で志半ばで戦死した史実は有名だろう。江戸時代となって、その場所から義貞のかぶとが発掘され碑が建てられ「新田塚」と呼ばれるようになった。今日では義貞を祭神とした藤島神社は足羽山にある▼「足羽山にあるのになぜ藤島神社というのか」といった人がいることを嘆いた郷土史研究者の青園謙三郎さんが「藤島神社物語」(月刊タウン情報ふくい1991年2~4月号)の執筆に駆り立てられた▼市郷土歴史博物館は明治期に2度行われた藤島神社の遷座の史実を掘り起こしている。1876年に新田塚に創建。81年には社地が4倍の約1万平方メートルになった吉田郡牧野島村(現在の同市文京)に遷座したかと思うと、1901年に足羽山に再び遷座した▼当時は豪雨が頻繁で2度とも水害が引き金だった。浸水が240センチにも達し「到底神霊ヲ奉鎮スヘキノ地ニアラス」といわれた。ただ足羽山への遷座に際し、反対運動があったことを学芸員の山田裕輝さんが見いだしている▼1896年の北陸線福井停車場開業で人の往来、物流が市の西部から駅周辺の東部に移りつつある中、遷座がその流れに拍車をかけるとの懸念からだった。北陸新幹線の福井駅開業が巡ってくる。藤島神社遷座の歴史からまちづくりの教訓をくみ取りたい。

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