【論説】全国で城ブームが続いている。NHKの大河ドラマでは明智光秀が取り上げられ、ゆかりの地がクローズアップされている。福井県内にも光秀ゆかりの地は多く、その一つ、美浜町佐柿の国吉城址(し)も近年、県外の観光客が増え、盛り上がりを見せる。

 国吉城は戦国時代、越前と境を接する若狭の東端に造られた全国でも数少ない“難攻不落”の城だ。歴史上、落城しなかった例はあるが、多くは城で戦わずに逃亡や降参などしており、実際に戦い抜いて負けなかった城は少ないらしい。

 若狭国守護大名の武田氏重臣、粟屋勝久が国吉城を築城したのが弘治2(1556)年。城の名声を高めたのが、朝倉勢を約10年にわたり撃退し続けたとされる国吉籠城戦だ。

 また、元亀元(1570)年には織田信長が朝倉氏攻めのため京を出陣。その先触れとして光秀が熊川に入り、その後、信長や木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、徳川家康らは国吉城で3日間滞在し軍議を重ねた。国吉城は今年、信長、秀吉、家康の3英傑や光秀が入城して450年という節目の年に当たる。

 国吉城址は2000年から発掘調査を行い、全容が明らかになってきた。当初は典型的な山城と思われたが、石垣や礎石などが出土し天守も建っていた可能性が高いことが分かった。天守は粟屋氏の後の時代の建築と考えられ、城の歴史は江戸時代まで続く。

 国吉城址は遊歩道などが整備され、17年の「続日本100名城」に選定されたこともあり、年間3千~5千人ほどだった観光客が18年度には約8500人に増加。19年度も既に1万人超が訪れ、徐々に名が知られてきたといえそうだ。

 訪れる人の多くは県外客で、県内や地元でも国吉城が壮大な山城だったことやその歴史的価値を知る人は少ない。ふもとにある若狭国吉城歴史資料館では、認知度を上げようと県内で初めて御城朱印を発行したり、全国の城に関する館長自前のコレクションを随時展示したりと知恵を絞る。

 城ブームは既に1巡、2巡し、有名な城を見終わった人たちの中には無名な城や山城跡を観光する人も多い。史跡価値の高い国吉城は、北陸新幹線延伸を見据えた観光誘客の拠点の一つとなり得る隠れた宝だ。

 全国には急激に人気が高まった後、閑散としてしまった城もある。ブームを活用する一方で、地域固有の歴史を資源としてまちづくりにつなげることが大切だ。その上で持続性、成長性のある誘客策を考えたい。

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