舟盛りのイメージ(みくに隠居処提供)

 舟盛りは三国が発祥の地? 幕末期、第17代福井藩主になった松平茂昭(1836~90年)が初めて国入りし、三国の宿浦(現在の福井県坂井市三国町宿)を視察した際に、庄屋(村の首長)らが用意した料理を記録した日記が残っている。庄屋の子孫伊藤俊輔さん(32)は言い伝えも踏まえながら、夕食で振る舞われたタイやイワシが舟盛りで出されたのではないかと指摘する。

 福井藩主の松平春嶽(1828~90年)の養子となった茂昭は1860年に国入りし、三国にも立ち寄ったとみられる。そのときに接待を仰せつかったのが、伊藤さんから6代さかのぼる伊藤五右ヱ門さん。宿浦の庄屋だった。

 筆まめだった五右ヱ門さんが残した日記などをまとめた「宿ノ浦ななめ姿誌」(2001年、宿郷土史会発行)によると、茂昭は4月20日、安島(三国町安島)から宿浦に入った。毎年この日に営まれる大湊神社の例大祭「雄島祭り」を視察した可能性が高く、この後北前船に乗り、帆の上げ下げを体験。翌日には福井藩の砲台を視察したと書かれている。

 茂昭をもてなした料理が次のメニューだ。

 【朝めし】
 汁、わかめ、香の物、漬物

 【昼めし】
 お平(ひら)、ふき、煮付け、香の物、焼き魚

 【夕めし】
 汁、ふき、皿、はまち切り身、香の物、鯛または大いわし

 最後の「鯛または大いわし」が舟盛り料理だったと伝わる。華やかな見た目が話題となり、地元に広がり、北前船の航路にのって近江商人に伝わり、さらに全国に広がったと語り継がれているという。

 「最近では目にしなくなってきているが、祝いの席などで舟盛りを振る舞う風習が三国にはある」と伊藤さん。宿区でレストランや温泉を備えた宿泊施設「みくに隠居処」を経営しており、「三国は海とともに発展してきた街。舟盛り文化を観光資源として活用できれば」と考えている。

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