大人が知らないスマホ世代の高校生活【ゆるパブ】

 ミレニアル世代、Y世代、Z世代…。スマホやSNSを当たり前のように使いこなす世代が持つ新しい価値観やライフスタイルが世間の注目を集めている。筆者は41歳。大人になってからスマホが登場した世代としては、子どもの親としても、職場でいろんな世代と働く会社員としても、その世代間の考え方の違いを理解しておきたいところだ。先日、福井県小浜市の若狭高校で、同校OBの若新雄純・慶応大学特任准教授を交え、現役生徒や先生たちとトークイベントを開いた。友だちとの付き合い方や捉え方…。生徒たちの言葉は、今までぼんやりとしていたジェネレーションギャップを鮮明にさせた。

 「今ってネットつながってるじゃん。ネットとかでスマホで記事読むでしょ。親でも先生に対してでも『それって古くない?』とか『おかしくない?』っていうことはどうしてるの?思うことあるじゃん。これは小浜でしか通用しない話じゃん、とか。僕らの時はなかったわけ。小浜の常識が世界の常識だったから。そういうのってどうしてるのかな、っていうのを最初聞きたかった」。

 冒頭、若新さんはこう切り出した。

 若新さんが高校生の頃はインターネットがあまり普及しておらず、学校の視聴覚室のパソコンで見るぐらい。得られる知識は限られていた。当時と今とでは環境が変わった。インターネットによって閉じられた社会は世界とつながった。果たして今の高校生はどんなニュースに興味があり、どうメディアと向き合っているのか。

 口を開いたのは2年生の男子。「僕は竹田恒泰先生が話しているのを、結構YouTubeとかで見てるんですよ」。

 竹田恒泰氏についてざっくり説明すると、旧皇族の子孫という出自を持つ政治評論家で、主張は女系天皇への反対や旧宮家の皇籍復帰。その過激な言論はネットでしばしば注目を集める。男子生徒が続ける。

 「竹田先生を追っかけるようになって、朝生とか見たり。なんか男系天皇じゃないと皇位継承しちゃダメとか。それはいいじゃないか別にっていう人がいる中で、竹田さんは男系天皇じゃなきゃ絶対駄目っていう主張をされてて、僕けっこう竹田さんの考え方が好きで…やっぱり竹田先生ですね」。

 竹田氏のことを先生や友だちに言うかという問いには「しないですね」と即答。「それは僕だけで楽しむ」と、自分の気になることを共有することはないそうだ。

 高校生が竹田恒泰氏に関心を持つというのは少し意外だったが、みんながみんな、そうではないようだ。右か左かの議論に他の2年生男子は「あんまり興味ないですね(笑)」。ほかの生徒のうち何人かは竹田氏のことを知らなかった。そのやりとりの間も竹田氏が好きな彼はその魅力を力説せず、ひとり苦笑していた。

 自らの高校時代に照らし合わせれば、少し違いを感じた。筆者と彼の性格の違いというだけかもしれないが、私が高校生の頃は、気に入ったものはすぐ友達に薦めた。漫画やCD、スーファミのゲームソフト…。好きなものを共有することで、友達との関係が深まるような気がした。しかし、彼はそれをしない。

 その違いの中には今ならではの、友達関係の結び方の変化があった。

 ■合わせなくていい

 筆者が高校時代の頃は、友だち同士の情報交換はとても重要だった。漫画、音楽、ゲーム…。学校の友だちに薦めて、一緒に「いいね」って思うことで仲が深まった。「センスいいでしょ、こんなの知らなかったでしょ」みたいな承認欲求があったのかもしれない。相手も内心ではありがた迷惑だと感じたり、薦めたものを気に入らなかったりしたこともあったかもしれない。でも、「いまいちだったね」とか「別に興味ない」みたいな反応は記憶にない。親切にも合わせてくれていたのかもしれない。筆者が薦められた立場の時も同じだった。そうやって仲間意識を保っていた。

 しかし今は違うようだ。「結構みんなバラバラで、合わせるっていうことは基本ないです」と3年生女子。例えば友だちグループと話していてジャニーズのアイドルの話で盛り上がっても、興味がなければ参加しなくてOK。「全然興味ないし、何言ってるか分からんし」と迎合する気はさらさらないそうだ。ほかの生徒たちも同意見だった。

 これには生徒たちと同郷の若新さんも驚いた様子。「僕もこの高校で育ったけど、人間関係は数が限られてるじゃん。都会と違って、合わないからといってどんどんころころ変えていけるわけじゃないじゃん。人数限られてるから。だから、できた集団とか、仲間との関係を崩してはいけないというのがすごい強かったのと、そこからはみ出してしまったら一人になるんじゃないかという不安があったりして、まず頑張って合わせるわけ。聞く音楽とか、やるゲームとか。」「合わせなくてもいいっていうぐらいのグループになったのは、卒業寸前くらい。ずっと仲良くしていた友だちが、『あ、俺帰るわ』とか『俺はこっちにするわ』とか『いや、実は俺こっちの方が好きなんだよね』っていうことをちゃんと言うようになったのって、もうバラバラになるよねみたいになるので、進学先が決まったりとか、ちょっと大人になってくることを感じて、いつまでもこのグループと一緒じゃないんやっていうことが見えるまでは、合わせてたよ。服装もやし、変な話、歩き方とかも合わせてたよ。今はグループが合わせるものではないっていうことね」。高校生たちはその話を聞いて驚いた様子だった。

 「結びつきがある意味、弱いんかな」。高校生の話を聞いた先生はつぶやいた。筆者も同じ印象を受けた。同じ価値観を持ち、そのことを確認しながら人間関係を深めていくことしか知らなかったから、今の高校生はどのように友だちとの結びつきを深めているのか、と。

 それに答えてくれたのは3年生の女子。「学校では私含めて6人のグループでいることが多いんですけど、学校以外で遊んだことないんですよ。私が基本、土日とか長期休みに遊ぶ子は、全然違うクラスの子やって、その子は話してて会話が途切れないし、基本価値観は一緒。学校以外ではそういう子と会いたい。学校だったら、いろんな子おってもいいかなって感じになってるんかなって思います」。

 大人だ、と思った。筆者の高校時代はクラスの友だちが交友関係の大部分を占めていてた。しかし、今の高校生にとってクラスの友だちはクラスの友だちでしかなかった。交友関係のほんの一部にすぎないようだ。部活内での友人関係についても、運動部に2年生男子は「全然遊ばないです。部活の中だけの関係。僕は部活とプライベート別なんで。部活の友だちには言えんようなことを、他の友だちに言ったりします」と割り切っていた。

 2年生の男子は合わせるのが苦手だという。「僕は結構1人で動いちゃうタイプで、もともと小学校ぐらいのときから、合わせてるのがちょっと嫌やなと思い始めて、それで孤独になり始めたときがあって。最初はめっちゃ悲しかったけど、その中で1人で動くのが楽やなってことに気づき始めて」。

 放課後、談笑しているクラスメートもいるが、彼はすぐに家に帰ってゲームを楽しんだという。「だから今もそうやと思うんですけど、けっこううわべだけの付き合いというか。今は結構、(友だちに)忖度してますけど」。

 「うわべだけの付き合い」。正直、高校生からそんな言葉を聞くとは思わなかった。それって、昔に比べ友人関係が希薄になったということだろうか。

 ■進級で人間関係リセット

 ここで携帯電話が普及しだした頃に同校で高校生活を過ごし若新さんの話を聞いてみよう。

 若新さんが高校生の頃はスマホもなく、インターネットもまだ学校の視聴覚室で見る程度。山と海に囲まれたいち地方で手にすることができる情報は限られていた。だから「小浜の常識が世界の常識だった」。

 交友関係は学校の友だちしかいなかった。それを保っていくためには、友だちと合わせることが大事だったが、若新さんは生きづらさを感じていたという。「自分も合わせきれん人間やったから超ずれ扱いされるわけじゃん。今は東京で生きてるから、無限に変わってる人がいるから、いくらでも仕事に出合えるけど、この集落でずれると終了。超面白くなかった、しんどかったね」。

 しかも、進学や進級のタイミングで友だちは変わった。また一から合わせる作業だ。そして今までの友だちは過去のものとなった。

 「昔は、学年が変わったら終わっちゃうわけね。中学から高校に変わったら終わっちゃうわけね。小まめに連絡取れないから。今ある関係を大事にしないといけないから。今ある関係が壊れないように、好きなものを合わせたりとか、お互いにペースを合わせることがとても大事。ショッピングセンター寄って行こうって言われたら寄っていくんだよ。寄ってくものなんだよ。『うわ、きょうは6時からのテレビ番組見たかったけどなぁ、6時の電車でいいや』って心の中で思うわけ。『ごめん、俺6時からの~見たいから、5時半の電車で帰るわ』っていうのは、よっぽどなやつしか言わない。そうやって集団が成立してたのね」

 「僕らの時代ってさ、学年が変わると、あんだけ仲良かったのにリセットされることがあったわけ、平気で本当に。前に仲良かった友だちと、新しい学年でできた友だちが、自分は両方とも仲いいけど、両方の友だちがすぐに仲良くなるとは限らんし、わからんわけよ。でも1年生のときに仲良かった人と、2年生になっても一緒に仲良くするためには今いる新しいグループの人といる時間の中に、その人(1年生の友だち)をいれなきゃいけないわけよ。ほかに会う時間はないわけじゃん」。

 友だちとの関係を深めるために「ワンコール」という文化があったという。「僕らはぎりぎり家電(いえでん))世代。携帯電話が普及したちょうど境目ぐらいで、電話代が高かったから、ばんばんかけれんし、ワンコールがはやった時代で。ただ一回だけならして切るっていう。あいさつなの。『いいね』みたいなもの。ワンコールで切れば電話代かからないじゃん。メール送るのにもお金かかるけど、ワンコールで切れば誰にも金かからずにコミュニケーションが取れるっていう」。

 ばりばり家電(いえでん)世代の41歳の筆者にとって「ワンコール」になじみはないが、若新さんいわく「すっごい軽い『おはよう』みたいなもの」という。相手の携帯電話の着信履歴に残ることで親近感がわいたとのこと。朝起きたときにすることもあれば、電車ですれ違ったときにもワンコール鳴らしたのだそうだ。

 スマホが普及した今では、少し滑稽なようにも見えるが、「当時、携帯電話をみんな持ち始めて、こんな方法でつながれるんやっていうのを確認したかったんやと思う」と若新さんは回想する。

 合わせた思い出の例は事欠かない。

 「僕らは3年間の中で漫画のブームが何回か来るわけ。で、グラップラー刃牙がはやったときは、全員グラップラー刃牙読んで、もうグラップラー刃牙のシーンを再現できるまで、読み込むわけね。時代遅れでAKIRAっていうのがはやって、全員AKIRA読んで、もう全員AKIRAマスターみたいなのがあったの。それは教室の中で、みんながぐるぐる漫画回し始めると、もうそれは必須テキストみたいな、これは読んどかなまずいみたいな。で、それを読むことによって友だちとの共通の話題ができて盛り上がれるし、そういうのが学校っていう場だった」

 「小学生のときは漫画、同じ漫画を読んでた。俺らのときは全員『幽遊白書』読んでたから。分からんと思うけど、幽遊白書っていう伝説的な漫画があって、もうとにかく全員、幽遊白書なのね。で、お互い(漫画に出てくる)技の名前とか分かるわけ。休み時間とかふざけてても、そのキャラクターの技とか出したら、漫画通りによけたりした」。

 聞く音楽についてもみんな一緒だったという。

 「僕らはCDを回して、仲良しグループは全員CDを一緒にするわけよ、全員コピーするから。当然聴く音楽も一緒になるやん。何曲目がいいとかって。で、カラオケ行くと、みんなアルバムの上から下まで歌えるの。わざわざコピーしてくるタイプの子もおったからね。全員分とか。それがお互いの帰属意識というか」

 世代の近い筆者もしみじみと共感する話が多かった。閉じられた世界で必死だった。わずらわしいこと、今の世代はスマホ一つで飛び越えた。

■バラバラのカラオケ

 翻って今。仲のいい友人でも、自分の好きな物を相手に無理強いしないし、相手に合わせる必要もないということはこれまで述べた通りだ。

 例えばカラオケ。若新さんの高校時代は友達みんなでCDを回し、同じ曲をみんなが知っていて、みんなが歌うことができた。今はどうか。3年生女子は言う。「全然違いますよ。一人一人違う歌歌います。私は普通の歌謡曲を歌うんですけど、もう一人の友だちは2次元の方の歌が好きで…」。

 熱烈にお薦めしてくる友達への対応も冷たいものだ。「お薦めの漫画とかyoutubeの動画とか面白いから見てってLINEとかで来るんですけど、毎日送ってきとって、面倒くさなってブロックしたんですよ。学校でその友達に『いっぱい送ってきたけど、一回も見てないし、面倒くさいからブロックしたったわ』って言ったら、『なんでやねん』みたいなって。それでも別に今、仲いいんで」と2年生男子は笑いながら話した。

 それを聞いた若新さんは驚きの表情。「あなたの趣味を受け入れませんでしたよ、ということと友情は関係ないっていうこと? 僕らの時代の価値観ではブロックしたら終わってたよ。間違いなく。絶対終わってましたよ、友だち関係。それは、お前とは付き合わないっていうメッセージでしたよね。『いらん!』なんて無理でしたよ」。同年代の先生も「いらないって言ったら、もう孤独が待ってる」とうなずいた。

 その背景について、1年生の男子は「違って当たり前が前提にある」と説明。「漫画でいったら、今たくさん出てるじゃないですか。いろんなジャンルとかもあるし、そもそも量が多い。だから、知らないだろうということが前提としてあるから、言っても知らないだろうなと思って話していて。でも知ってたら『やった―』みたいな感じ」と話した。インターネットやスマホの普及は、ライフスタイルだけでなく、対人関係についても影響を及ぼしていた。

 バラバラであってもイライラしないという傾向は学校でも見られるようだ。そう思わせたのは先生の生徒への素朴な質問。「最近思うんやけど、学校で掃除せんやつをなんで許せるの? 自分はめっちゃマジメにするのに、サボってるやつを『あいつはしてないやろ』って思わないのか疑問なんやけど。あいつサボってるの叱ってよって言われたこともないし…」。

 1年生の男子はこう答えた。「はじめは『なんやこいつ』って思っても、なんか思っているうちに、これで俺が怒ってもこの人が直るわけでもないし、怒っとる俺が損みたいな感じで、そいつはそういうものだっていうので、放っておく。でも掃除する俺は偉い、みたいな」。自らと同じ態度であることを相手に期待しないのが今風のようだ。

 「みんなが一緒かどうかは別にして、あいつはあいつでせんやつなんや、俺は俺でやってるからいいやん、みたいな。あいつがこの音楽を好きやと思わんのはあいつやからやと、私はこの音楽が好きだというのと同じ」とは若新さんの洞察。2年生の男子は「確かに協調性はないですね。例えば、5時に集合とかいって5時に集まったことがない。6時半に来ても別に怒らんし。遅れた人も申し訳ないと思って来てない」と話、自虐的に世代観を語った。もちろん、今の世代すべてがそうだとは思わないが、ちょっと41歳の私にはついていけない気がした。

 ■どうやって親友見つける?

 ここで若新さんの疑問。「僕らが中高生の時は好きなものが近い人から仲良くなっていって、あとあと人間的にも波長合うってなってきたわけだけど、趣味とかそういう部分を合わせないで、どういうふうに仲良くなるの?」

 ごもっとも。子どもの頃、友だちにゲームや漫画を薦められた。わずらわしい気持ちもあったが、それだけ親密になれた気がしたし、仲が深まった気がした。そのやりとりの中で気が合うのかどうかはかることもできた。それを断りながら友情を深めるってどうするんだろう。

 「例えばですけど、僕が1個の漫画とかを言ったときに、一方的に拒絶するというか、逆に1回話を聞いて、や、違うなって俺は合わないっていう人がいたりとか、いろんな返答の仕方があったりするんですよ」と切り出したのは1年生の男子。「僕が出したアクションに対してどう動くかって、面接官じゃないですけど、チェックするっていうか」という。

 2年生の男子は「けっこう、レベル付けとか。なんのっていうのはなく、レベル高けーよなーみたいな。この人レベル低いなとか」。友だちになりたいぐらい敬意を払える相手かを見定めるということだろうか。なかなか言語化しにくい質問ではあるが、要はフィーリングということだろうか。

 恋愛についてはどうだろう。回答を尻込みする男子を横目に3年生の女子が最近の恋愛事情について語ってくれた。いや結構いますよ。「まず高校生の恋愛はまずLINEから始まるんですよ。LINEから始まって、でどっか何回か遊びに行って付き合うんですよ」。

 筆者も親戚の高校生に聞いたことがある。彼曰く、クラスのほぼ全員がLINEのアカウントを持っている。そしてLINEを通じて友だちの友だちとも仲良くなり、気が合えばお付き合いが始まるのだとか。トークイベントの高校生の説明と合致した。意中の相手を放課後まで待って、ひと気のないところで意を決して告白なんていうのは過去の話なのだろうか。

 若新さん「終わるときはLINEで終わるの?」

 3年生女子「それはわかんない」

 さらに話を聞いてみたかったが、根掘り葉掘り聞くのは野暮というもの。これくらいにしておこう。

 ■校則との距離感に変化も

 最後に高校生が校則についてどう考えているのかを話題にしたい。昔なら親や先生ら身の回りの大人の言うことは「正しいこと」としてかなりの重みがあったが、今は違う。ネット上にはいろんな意見があふれていて、回りの大人の言うことも「いち意見」に過ぎなくなった。そんな中、校則の捉え方も変わってきているようだ。

 「茶色い地毛やのに校則で髪の毛を黒に染めなあかんとかいうのがあって、それは地毛なのになんで染めなあかんのやって疑問に思った」。若狭町出身の2年生女子は印象に残ったネットニュースについてこう話した。また中学時代について「他の学校は結構スカートの丈が短かったんですけど、自分らはスカートが長くて、靴下も長いのしかはいちゃ駄目っていうルールがあって、なんでそこから変化せんのやろっていうのをずっと思ってました」と首をひねった。

 おおい町出身の3年生女子は「赤リップとか、眉毛とか普通にかきたかったなっていうのはあります。みんなかいているし、でも高校のルール的にはだめって矛盾しとって、だから怒る先生もいれば怒らん先生もいるし。なんかどうすればいいんかなって。このまま自分の意志のまま、やりたいんやったらやるっていうのでいいんかなって」と葛藤を口にした。多くの高校生の声を代弁したような言葉だったが、テーブルの反対側に座る先生の前で堂々と自分の意見を言えることに正直驚いた。

 高校時代は茶髪だった若新さんも高校生たちの考え方に同調した。「ルールってずっと変わっていくので、古くなったら変えるっていうのがルールの、ルールにおける大事なルールだと思うんだけど、僕も中学の時も高校の時も校則を変えましょうみたいな運動はあったんやけど、校則を変えようっていう運動がすごい危険視されてたの。ルールは変えることができるからこそルールとして機能するんだけど」。

 果たして先生はどう考えているのか…。50代の教員が口を開いた。「今はもう変えていっていいんじゃないですか。昔は変えるも何も情報が入らなかったので、それしか知らんかった。おかしいとか思うことが我々の時はなかった」。先生側も生徒たちの不満に全く耳を貸さないわけではなかった。

 葛藤もある。「全体を考えると一律という風になる。ただ、担任として言う場合には、一人一人の中でこの子に対しては、こっちの指導法がうまくいく可能性があるということであれば、そっちの方法を使いつつ、でもみんなの前では『こう言うからね』っていうような言い方をその子にする場合もあれば、でも違う子にはこのときとは違う話を全体としてした場合に、それが納得できないという子には、また別の話をするかもしれない。ちょっと個別に変えたりします。ただ、個別で変えたときに、変えて後であっちからもこっちからも、あの子だけっていうことが出てこないようにはしないといけないです」。

 しかし生徒は納得しない。3年生女子は「それって先生の主観によって変わるくないですか。それぞれに合わせた対応をするって言ってるけど、対応の基準っていうのが、本当に合ってるかというのもわからんし」と不満顔だった。これに対し先生は「分からんけども、一応まぁ先生が思う基準っていうのが自分の中にあって、それを強制するっていうのは駄目かもしれないけど、自分の中でこの子にはこの方法が合うだろうと思うから、そういう言い方をする。その辺は先生によって違うので、そこらへんが納得できんっていうのがまたあったりする。あのタイミングとこのタイミングで、またここのところで違うというのがあるじゃないですか。そういう話が出てくると、また…。全体で一律でこうしましょうという言い方もします」。

 少し明確さを欠く先生の姿勢に理解を示す生徒もいた。「普通。逆になんか、みんな一緒だったら恐い」(おおい町出身の2年生男子)、「ピシッとしてる先生から、のんびりしてる先生から、先生もいろいろなんで、考え方も人それぞれ違うっていうのは、授業とかやっとっても、この先生はこういう考え方なんやなっていうのはあるんで、違うなっていうのは納得しています」(若狭町出身の2年生女子)。正しさにもいろいろあることを何の気なしに受け入れているようだった。

 小浜市出身の1年生男子はさらに言葉を尽くして思いを説明した。「先生の違いでいうと、僕の担任をしてくださってる先生は、とってもルーズな(笑)、自由な先生。自由な先生で、校則とかに厳しくないんですけど、他の先生だと厳しい先生もいらっしゃいますし、それこそ全然バラバラで。多様性の時代とか言われていて、そもそも全員が同じ価値観であったら、それこそ軍隊みたいでおかしいような。規則が第一ってことになってしまうと、個人の自由が求められなくなってしまうので、それこそ先生自体に個性があって、個性を出していけるという自由があるのを生徒から見たときに、自分たちも個を出していってもいいのかなというのを高校に入って強く感じました」。

 多様性の時代を生きる高校生たちは、すでにその素養を身につけているように感じた。若新さんも高校生たちに感嘆した。「みんな肉体的に田舎に暮らしてるってだけだよね。僕、ふだん東京でテレビでえらそうに話してるけど、きょう話してて田舎くさいと思うことは1秒もなかった。完全に現代の日本の話やった。田舎っぽさゼロ。完全に現代の最先端。すごいわ」。

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