光秀が一時身を寄せていたと伝わる西福寺=福井県小浜市青井

 長年、若狭を研究してきた福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井市)の有馬香織学芸員によると、光秀が小浜市青井の西福寺に身を寄せていたという言い伝えがある。光秀ゆかりの坂井市の称念寺には、光秀の母が同寺の末寺・西福庵に縁があったと伝わる。西福庵の場所は特定されていない。小浜市の西福寺と名前が似ており、両寺とも時宗という共通点がある。しかしこちらも「小浜にいたことを裏付ける史料はない」という。

 ■若狭武田氏との関わり

 光秀と若狭武田氏との主な関わりは三つ。▽武田氏に忠誠を誓うよう地元武士に求める光秀、秀吉らの署名入り文書が小浜市青井の神明神社に伝わる▽明智らが攻めたおおい町の武藤氏は武田氏の家臣▽武田氏は本能寺の変で光秀に味方したため滅んだ。

⇒連載小説「桔梗の覇道 明智光秀」

 こうした史実や伝承を下地にしたのか、若狭武田氏とその妻を取り扱った水上さんの著作「玉椿物語」では、光秀は「刀鍛冶藤原冬広を伯父と仰いだ」と書かれている。武藤氏が登場する「鴉(からす)」では、光秀ら織田軍の使者として藤原冬広が登場。明智日向守(光秀)の伯父と名乗る。

 光秀と若狭を結びつける異説・伝承がこれだけ存在している理由は分かっていない。徳満さんは「歴史上の謎は、判明した方が我々学芸員は助かる。しかし歴史ファンにとっては謎のままにしておいた方が、面白さが深まるかも」。謎多き光秀ゆかりの地として、若狭をアピールする材料になるかもしれない。