【越山若水】関ケ原の戦いから今年は420年の節目に当たる。東西両軍合わせて10万以上の兵力が対峙(たいじ)した、日本における最大規模の合戦だった▼真偽は定かでないが、明治に陸軍教官としてドイツから招かれたメッケルが布陣図をみて西軍の勝ちと指摘したとか。東軍が勝った戦いを高坂正堯(まさたか)京大教授は司馬遼太郎さんの「関ケ原」文庫版解説で、軍事的な決戦ではなく政治的駆け引きが全てだった証しであるとし「選挙の前の多数派工作」と比喩した▼徳川家康をマキャベリの「君主論」に当てはめ信義、慈悲に反しても信義に厚く人情があると思わせることができた人物と説いた。一方の石田三成は持ち前の官僚的な美徳が度量の狭さに通じ勝ち目はなかったと冷ややかだ▼官僚出身だった堺屋太一さんは三成を主人公に据え「巨いなる企て」(毎日新聞社)で関ケ原に挑んだ。三成の「天下分け目の戦さを構想し、デザインした人物の思考の卓抜さと、その実施の拙劣さ」に着眼し描いた▼安倍首相は、自民党本部の仕事始めで関ケ原と今年の干支(えと)が同じ庚子(かのえね)だと紹介。「やるべき時は戦わなければならない」と語った。ちなみに関ケ原は慶長5年9月15日、西暦では1600年10月21日だった。一強の布陣とは。お手並み拝見である。

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