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「村上春樹を読む」物語の動き、文章の動きを大切に  川上未映子によるロングインタビュー

(2015年12月25日午後1時57分)

 川上未映子による村上春樹インタビューが掲載された雑誌「MONKEY」Vol.7  川上未映子による村上春樹インタビューが掲載された雑誌「MONKEY」Vol.7


 この秋に発売された柴田元幸さん責任編集の雑誌「MONKEY」第7巻に『職業としての小説家』(2015年)の発売記念の村上春樹インタビュー「優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない」が掲載されています。その聞き手となった作家・川上未映子さんのインタビューぶりが素晴らしくて、いやぁ、これはいいインタビューだなぁと感心いたしました。村上春樹の答えぶりもいいですが、このインタビューでは川上未映子さんの質問の切り込み方が素敵だと思いました。

 私も村上春樹へ何回かインタビューをしていますが、この「村上春樹を読む」では単行本や雑誌に掲載されたもの以外は、自分の聞いたものでも村上春樹の言葉は、一切、記さないで、みんなが読める小説やエッセーなどを取り上げて、それに対する自分の読み(妄想)だけに頼って書いています。そのほうがフェアですし、自分が行ったインタビューですと、客観性が担保されないので、このようなスタイルを通しています。

 記者ですので、インタビューはたくさんしておりますが、インタビューというものは、たとえ長時間かけたとしても、基本的には一発勝負みたいな面があって、話の流れのようなものをできるだけ早くつかんで、その流れの動きに乗って、質問をし、相手の答えを引き出して、さらに追加の問いを重ねていくことが大切です。

 新しい問いや追加の問いが、全体の流れを止めてはいけないし、でも問いの深度が浅いと、インタビューを読む側に充足感が生まれませんので、あまり安全運転のインタビューは面白くなりません。インタビューの流れに乗ることと、深度の深い質問をところどころに挟んでいって、かつ流れを止めないということの、この辺の呼吸がとても難しい…のです。ひどい場合は最後まで話に流れが生まれず、楽しくないものになってしまうのです。それでもやり直しが普通はできませんから、結構、インタビューは難しいものです。

 今回の川上未映子さんによるものは、村上春樹へのロングインタビューとして、屈指のものでしょう。距離感はしっかり維持されているのに、内側近くに接近して聞いていて、しかも最後までインタビューの流れを止めていません。なかなかできることではないと思いました。あとは、その「MONKEY」の川上未映子さんによる村上春樹インタビューを読んでくださいということで、今回のコラム「村上春樹を読む」は充分なのですが、それではあんまりでしょうから、私が面白いなぁと感じたところを、このインタビューから紹介したいと思います。

      ☆

 川上さんは、1995年に阪神大震災の後、神戸で開かれた村上春樹の2回の朗読会に両方とも参加しています。まだ19歳で書店員として働いていた時代で、店に朗読会のチラシがあって、「これ本当かなあ、ウソの情報かもと思いながら電話をしたら、取れたんです」と話しています。

 その時、村上春樹が「朗読をします」と言って、「めくらやなぎと眠る女」を朗読したそうです。「あの短編はもともと八十枚ぐらいの長さがあるんですよね」という川上さんの質問に、「そうなんです。あれ、けっこう長いんだよね。あとで後悔したんだ」と村上春樹は語っています。でも1回目は村上春樹は、それを全部読みました。

 「聴衆である私たちの方はもう、村上さんの登場から、一言も聞き漏らすまいと全員フルの態勢でいっているので、朗読の時にはもうみんな力尽きちゃって。だんだんみんな意識が朦朧として、一人脱落、二人脱落みたいになってしまったんです(笑)」と川上さんが語り、さらに「そしたら、その翌日の朗読会で、村上さんは『昨日は、朗読が長過ぎたので、ダイエットしてきました』とおっしゃって、一晩であの短編をすっかり作りかえていらしたんですよ」と証言。さらに「普通だったら、違うテキストに替えるとか、ほかにも選択もあるかと思うんですが…」と話しています。

 長い版の「めくらやなぎと眠る女」は「文学界」1983年12月号掲載で『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1984年)に収録されていますし、村上春樹が一晩でダイエットした短い版のほうの「めくらやなぎと、眠る女」は「文学界」1995年11月号掲載で、『レキシントンの幽霊』(1996年)に収録されています。短い版で実際に雑誌掲載されたものと、2日目の朗読会で読まれたものが同じであるかは、私は知りませんが、ともかくショートバージョンの「めくらやなぎと、眠る女」の誕生の経過が、リアルにわかる話です。

 インタビューの冒頭近くで「朗読の時にはもうみんな力尽きちゃって。だんだんみんな意識が朦朧として、一人脱落、二人脱落みたいになってしまったんです(笑)」と笑いながら質問できる川上さんは、よほどの村上春樹ファンなのでしょう。そうでないと、こういう話をインタビューの立ち上がりのところで入れられないと思います。でもこの「意識が朦朧として、一人脱落、二人脱落みたいになってしまったんです(笑)」という言葉が話の全体のトーンを決めていて、とても楽しいインタビューの開幕となっています。

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 村上春樹と言えば、独特の比喩が知られていて、読者たちもその比喩のユーモアセンスなどを楽しんでいます。川上さんも「村上作品の特徴の一つとして、比喩の巧みさがあると思う」が、それは「自然に出てくるんですか?」と質問、村上春樹が「出てくる。昔、ある評論家が、きっと村上春樹はノートにいっぱい比喩を書きためているはずだ、って言っていたけど、そんなことはない(笑)。そんなノートはありません」と答えています。

 さらに「ぱっと出てくるんですか。その時に必要なものが」と質問、村上春樹が「出てきます。必要に応じて、向こうからやってくるみたいな感じで」と答えると、「うらやましい…」と、同じ作家らしい反応を川上さんがしています。

 川上未映子インタビュアーの素晴らしいところは、ここで比喩の話が終わらないことです。さらに「比喩もやっぱり言葉の組み合わせだから、違うものと違うものの距離じゃないですか。アクロバティックなものでしょう。驚きがないと比喩にならないし、ピタッとはまらないと駄目でしょう」と、比喩の成り立ちについて、質問を進めています。

 それに対して村上春樹は「うん。なんといっても距離感が大事ですね。お互いにくっつきすぎても駄目だし、離れすぎても駄目だし。そういうふうに論理的に考え出すとむずかしい。非論理的になるのがいちばんです」と答えている。

 作家としてか、川上さんは、ひとつひとつの言葉を出すだけでも難しいのに、ぱっと出てくるのは、その組み合わせが(村上春樹の中の)キャビネットに入っているような感じなんでしょう? と聞いていますが、村上春樹は「入っていると思う。僕はわりに簡単に非論理的になれるから」と答えています。それに対して「それは、本当にうらやましいです(笑)」(川上)、「ははは(笑)」(村上)という楽しそうな応答をへて、村上春樹が比喩について、レイモンド・チャンドラーから学んだということを引き出しています。

 「チャンドラーから学んだのは、比喩っていうものの構造についてということですか?」と川上さんが質問すると、村上春樹は以下のように答えているのです。

 「比喩っていうのは、意味性を浮き彫りにするための落差であると。だからその落差のあるべき幅を、自分の中で感覚的にいったん設定しちゃえば、ここにこれがあって、ここから落差を逆算していって、だいたいこのへんだなあっていうのが、目分量でわかります。逆算するのがコツなんです。ここですとんとうまく落差を与えておけば、読者ははっとして目が覚めるだろうと。読者を眠らせるわけにはいきませんから。そろそろ読者の目を覚まさせようと思ったら、そこに適当な比喩を持ってくるわけ。文章にはある程度そういうサプライズが必要なんです」

 この先にも比喩をめぐる応答がありますが、こういうふうに川上さんは笑いに満ちたインタビューの流れをつくりながら、質問の内容にこだわって、村上春樹の文章の比喩の構造までの答えを得ています。

      ☆

 村上春樹が一人称「僕」から出発して、次第に人称を広げて、『1Q84』(2009年、2010年)で完全三人称の長編となったことはよく知られることですが、この人称の変化について、「三人称を獲得したことによって、失ってしまったものってありますか」という質問も、ナックルボールのような問い方で、意外な角度から人称の変化に迫るもので、驚きました。

 それに答えて、村上春樹はより丁寧に、人称変化について語っています。長編では『海辺のカフカ』(2002年)のカフカ君の章が「僕」で、ナカタさんとホシノ君の章が三人称ですが、「その後の『1Q84』みたいに、更に話が込み入ってくると、そういう折衷的なスタイルではとても追い付かないんですよね。きっかり三人称じゃないとまかないきれない。そういう純粋にテクニカルな理由があります」と答えています。

 このような人称の広がりについては、何度か、村上春樹が発言しているかと思うのですが、その答えの前に、小説家としての内的な感覚を語っています。つまりこうです。

 「四十代の半ばくらいまでは、例えば『僕』という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の『僕』とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う」「他の人が感じなくても、自分では『ちょっと違うな』と思う。そのずれが気になってくる。若い人を語る時には、三人称じゃないと語りづらくなってくるんですよね」

 そんなことを村上春樹は語っている。こういう答えを引き出しているのは、人称に関する問いが「三人称を獲得したことによって、失ってしまったものってありますか」という、意外な方向からのものだったからではないでしょうか。

 このコラムで、読者とのメール応答集『村上さんのところ』にあるたくさんの率直な村上春樹の言葉を紹介した際、「人称というのは僕にとってはかなり大事な問題で、いつもそのことを意識しています。僕の場合、一人称から三人称へという長期的な流れははっきりしているんだけど、そろそろまた一人称に戻ってみようかなということを考えています。一人称の新しい可能性を試してみるというか。もちろんどうなるかはわかりませんが」という村上春樹の気になる発言を紹介しました。

 それと同じような発言で、村上春樹は小説家としての内側の問題を絡めて、川上さんの人称をめぐる質問に答えています。

 「だからあなたの質問に戻ると、三人称に移ったことで失われたものというのは、昔は自然だったけど、もう自然ではなくなってしまった、ある種の状況ですね。そういうものに対する懐かしさというのはある」「だんだん三人称に移っていかざるを得ないというのは、物語が進化して、複合化・重層化していくことの宿命みたいなものです。ただ僕自身は、正直言って、そのうちに一人称小説をまた書いてみよう、書きたいと思っています。そろそろ新しい一人称の可能性みたいなものを試してみたいですね」と答えています。

 これは、次作か、その次の作品かはわかりませんが、そう遠くない日に、村上春樹の新しい一人称小説を読むことができるということかもしれません。

      ☆

 また、川上さんは村上春樹の読者についても考察しながら質問しています。

 「日本でも海外でも、ある小説が大きな話題になる場合、だいたいその作品の名前だけが、特化されて流通するというか、一つのコンテンツとして受け入れられることが多いと思うんですけど、村上さんに限っては、村上春樹のどの作品がというわけじゃなくて、村上さんの書くもの全体が、一つの大きなものとして受け入れられている気がするんですよ。平たく言えば、それは『読者がつく』ってことになっちゃうんだけれども」「村上作品をめぐる読者は『内的な読書』というニュアンスが強いと思うんです。面白い何かを外に取りに行くっていう感じじゃなくて、そこに行けば大事な場所に戻ることができる、みたいな感じでしょうか。そこでは内的な感覚がすごく強い。私はそこに、村上さんの物語と自己の関係というのがすごく強く作用していると思っていて…」と、村上作品の読者たちについて、考察しています。確かに川上さんが言うように、村上春樹好きの読者たちは、村上春樹の書くもの全体を、一つの大きなものとして受け入れている感じがありますね。

      ☆

 このインタビューのタイトルは「優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない」というものです。

 これは短編集『女のいない男たち』の中の「独立器官」という作品をめぐる応答のところで出てきます。そのやりとりを紹介する前に簡単に「独立器官」について紹介しておきましょう。それは美容整形外科医の「渡会」をめぐる話で、彼は52歳のいままで結婚することなく、同じ職業の父親から引き継いだクリニックを六本木で経営していて、いつも2、3人の気楽なガールフレンドがいるような人です。彼女たちとの時間の調整も優秀な男性秘書がやってくれていて、何の苦労もない技巧的な生活をしていたのですが、ある日、ほんとうの恋をしてしまい、その恋煩いが原因で拒食症のようなものにかかり、ミイラのようになって死んでしまうという小説です。

 川上さんは、この小説に村上春樹の作品世界によく出てくる「壁抜け」のようなものを感じたといいます。つまり「あの作品は基本的にリアリズムで書かれ、進んでいく物語です。ここに村上さん独自の『壁抜け』の要素を感じたのは、現代の医学の常識で見れば、普通、あの形ではおよそ死なないだろうというのは、作者として、ちょっと立ち止まったりしませんか。書いている作品がリアリズムのタッチで進んでいる時に、『この死に方には無理がないだろうか?』と慎重になってしまうというか、そういうことは特になかったのでしょうか?」と質問しています。

 これに対して、村上春樹は「特にあの小説で、そういう戸惑いを感じたということはなかったですね。あの渡会という人は、死というものに魅入られたというか、死に掴まえられてしまった人だということです。もう逃げられないもの、一種の宿命であると」「そういうものにリアリズムも何もない。掴まれたらおしまいだから」などと答えています。

 さらに、川上さんは「しかし多くの場合、そこで足が止まっちゃうことが多いと思うんです。リアリズムで書いている場合は特に。こういうリアリズム・ベースで進められる小説で、村上さんのように『壁抜け』をすることは、なかなかできないだろうと思うんですよね。少なくとも私はそうです。やっぱり、なんて言うのかしら…」「リアリティに対する恐れというか…。死にしっぽを掴まれた男を書こうとする時に、たぶんもっと、誰に突っ込まれてもまずくならないように、医学的に確実に死なすというか(笑)、そういうことを気にしてしまう」と述べています。

 村上春樹は「でもそうすると、話がつまらない」「リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない。それはすごく大事なことです」と答えています。

 このインタビューでは、村上春樹はそれ以上の説明をしていませんが、これだけですと、少しタイトルの意味がわかりにくいかもしれませんね。

 このコラム「村上春樹を読む」の読者のために少しだけ加えておきますと、作家・松家仁之さんが雑誌「考える人」の編集長時代、最後の仕事として行った「村上春樹ロングインタビュー」(「考える人」2010年夏号)の中で「会話でいちばん大事なことは、じつは言い残すことなんです。いちばん言いたいことは言葉にしてはいけない。そこでとまってしまうから。会話というのはステートメントではないんです。優れたパーカッショニストはいちばん大事な音を叩かない。それと同じことです」と村上春樹は語っています。

 川上さんのインタビューに対しては、「でも、どうしてもああいう話は、論理的に説明されるとつまんなくなっちゃうんだよね」とも加えています。つまり論理的に説明されると、論理で物事が収まってしまい、話を前にキックしていく力がなくなって、物語の動きが止まってしまい、話がつまらなくなってしまうということなのでしょう。

 この川上さんのインタビューでは、例えば、比喩についてレイモンド・チャンドラーに学んだことの中で、「読者を眠らせるわけにはいきませんから。そろそろ読者の目を覚まさせようと思ったら、そこに適当な比喩を持ってくるわけ。文章にはある程度そういうサプライズが必要なんです」と村上春樹は述べていました。つまり村上春樹は物語の動き、文章の動きというものをとても大切にしているということなのでしょう。

      ☆

 また村上春樹作品の特徴として言われる「デタッチメント」(関わりのなさ)と「コミットメント」(関わること)についても、川上さんは「村上さんがデビュー当時、デタッチメントを選ぶ、ということを表明したのは、実際にはとても能動的な行為であり、政治的なことだったわけですよね」「村上さんが、デタッチメントの姿勢をとることが、当時ではある意味、より深いコミットメントになるような選択だったわけですよ」という認識を示しています。

 さらに川上さんは「でも私たちが今、身を置いているデタッチメントの姿勢は、村上さんのようなリスクをとろうとしない、ただリスクを回避するだけの『浅いデタッチメント』ではないかと。もちろんこういう問題は、最終的にはみんなそれぞれ好きに選択すればいいと思うけれど、これからの小説家、今二十代から四十代にかけての作家たちは、社会とどういうふうに関係を取り結んでゆくべきだろうかと…」と自問しながら、村上春樹に問いかけています。

 そんな今の状況に対して、村上春樹は「個人的に社会的メッセージを発信するのは、簡単なことじゃないです。それをどういうふうにすればいいのか、模索してはいるんだけど。ただ、小説家だから社会的発言をしなくてもいい、というものでもない」「じゃあどういった方法をとればいいのかを、模索しているところです。メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方をしたいというのが、今の率直な僕の気持ちです」「ある程度直接的なことをもっと言うべきだと思う。そろそろそれをするべき時期が来ていると思う。考えていることはあるんだけれど、少し時間はかかるかもしれない」と述べています。

 これはかなりの発言ですね。川上さんも「今日は、村上さんのその言葉を聞けただけでも…」と応えています。

      ☆

 川上さんの質問も、真摯、かつフランクで、村上春樹作品に対する愛着も、読み込みも深く、それに答える村上春樹も丁寧かつ率直です。このために、長いインタビューに生き生きとした流れが生まれています。こんなに(笑)の多い村上春樹へのインタビューも珍しいです。

 「カキフライ」と「うなぎ」の文学論も出てきますし、中上健次さんと村上春樹が対談した後、中上さんから、一緒に飲みに行こうと言われた話もあります。『1Q84』で「青豆」という変わった女主人公の名前について、その名づけのエピソードはしばしば語られてきていますが、川上さんは同作に出てくる「バー『麦頭』の方は? あれ、何なんですか(笑)? 私、この名前がすごく好きで」と質問しています。

 私も「麦頭」のことはずっと気になっています。質問が、ちゃんと川上さんの内側から出てきていて、実に爽やかで、楽しく、深い、ロングインタビューです。村上春樹ファン、村上主義者の方々は読まれたらいいと思います。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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