30年のドラマ|第34回 福井マラソン


「創りませんか あなたのドラマ」 第34回福井マラソン


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30年のドラマ
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第1回 1978年10月8日 エントリー2315人(出走2023人)
 「みんなで楽しく走ろう」を合言葉に、中学生から80歳のお年寄りまで、5キロ、10キロ、20キロの各コースを疾走。フォークシンガーの高石ともやさん夫妻が20キロを完走した。


第2回 1979年10月7日 エントリー3030人(出走2515人)
 雨模様となったが、女性の参加が前回より100人以上増えた。ボストンマラソンで優勝経験のある招待選手の山田敬蔵さんが開会式で「遅いあなたが主役です」と呼び掛け。


第3回 1980年10月5日 エントリー3673人(出走3136人)
 出場者が3000人を突破。福井市殿下中が学校ぐるみで参加、生徒や教職員、保護者も加わり、山道で練習した成果を発揮した。


第4回 1981年10月4日 エントリー4096人(出走3852人)
 北は秋田県から南は高知県まで県外から約400人が出場。「日本海側最大」のキャッチフレーズにふさわしい規模に。


第5回 1982年10月3日 エントリー5191人(出走4805人)
 「青梅マラソン」に次ぐ国内2番目の参加者数に。オーストラリアからの留学生、ヒュース・セーラさんが”福井弁”で宣誓。


第6回 1983年10月2日 エントリー5812人(出走5271人)
 女性ランナーが1000人を突破。長距離王国のエチオピアをはじめブラジルやカナダ、フィリピンなど各国から参加があり、国際色豊かな大会に。


第7回 1984年10月7日 エントリー6778人(出走6033人)
 5キロは4000人ものランナーが出場。スタート時は旧福井新聞社屋前が人だかりに。沿道の応援も増え、秋の恒例行事として定着した。


第8回 1985年10月6日 エントリー6808人(出走5727人)
 日本女子マラソンの第一人者だった浅井えり子選手がエントリーしていたが、所属会社の系列会社社員が交通事故で亡くなり、喪に服すとして出場を断念。


第9回 1986年10月12日 エントリー6368人(出走5268人)
 大会2度目の雨中マラソンとなったが、気温、風などのコンディションは上々。全員が完走を果たす。多くの部門で新記録が誕生。


第10回 1987年10月4日 エントリー6597人(出走6005人)
 スタート時間を1時間繰り上げ。20キロのランナーは午前11時に出発した。従来の5キロを、フルマラソンの8分の1の5.274キロに変更。来賓の栗田知事が同部門に飛び入り参加した。


第11回 1988年10月2日 エントリー6318人(出走5365人)
 5.274キロで上位記録が大幅に伸びた。京セラ陸上部の若手女性ランナー3人が20キロに出場、表彰台を独占した。


第12回 1989年10月1日 エントリー6331人(出走5532人)
 県共同募金会のメンバーが”赤い羽根”にちなみ、そろいの赤いユニホームで初出走。「赤い羽根募金に協力を」と呼び掛けた。


第13回 1990年10月7日 エントリー6005人(出走5148人)
 20キロに都道府県陸協登録選手対象の「公認」がお目見え。男子87人、女子22人がエントリーした。全国各地から初参加の実力者が目立った。


第14回 1991年10月27日 エントリー6421人(出走5585人)
 大会の初出場者が2710人と、全エントリー者の4割を占めた。開催日が例年より遅かったにもかかわらず、エントリーは6400人を上回った。


第15回 1992年10月4日 エントリー7211人(出走6412人)
 過去最多のエントリーと出走者を記録。タレントの島崎和歌子さんが5.274キロに特別出場、1キロ付近でリタイアしたが、ゴール会場でミニコンサートを開き、大会を盛り上げた。


第16回 1993年10月3日 エントリー6868人(出走6067人)
 出走登録や記録の計測、集計にバーコードによる電算化を初採用。ボランティアも初めて登場し、19人が完走証の即日発行作業に汗を流した。スタート地点をフェニックス通りに変更。


第17回 1994年10月2日 エントリー6899人(出走6128人)
 翌年に迫った世界体操鯖江大会のコンパニオンとマスコット「ピタリ」が開会式で同大会をPR。ゴール地点では歌手の西村知美さんがミニコンサートを開き、花を添えた。


第18回 1995年10月29日 エントリー5823人(出走5091人)
 世界体操鯖江大会のため例年より4週間遅れの開催。初の外国人招待選手としてロシアのアンドレイ・クズネソプ選手とバレリ・ミシェチキン選手が20キロ公認に出場。


第19回 1996年10月6日 エントリー5490人(出走4895人)
 従来の20キロを20.0975キロの「ハーフ」に衣替え。公認、一般の部に男女合わせて666人が出走した。ゼッケン装着の発信機を使った記録集計システムが登場。


第20回 1997年10月5日 エントリー5949人(出走5309人)
 5キロにチーム対抗戦が登場、34チームが参加した。記念大会として大野市出身の本田竹春選手らを招待。元五輪選手の松野明美さんがサイン会や講演を行った。


第21回 1998年10月4日 エントリー5199人(出走4694人)
 チーム対抗戦に男子41チーム、女子10チームが参加。県内の郵便局は13チーム、100人に迫る選手団で参戦した。


第22回 1999年10月3日 エントリー4931人(出走4417人)
 ゲストランナーは女子3000メートルの元日本記録保持者、深尾真美さん。女子中学生が2人1組で5キロを走る「フレンドシップリレー」が登場、18組がタスキをつなぎ、ゴールを目指した。


第23回 2000年10月1日 エントリー4427人(出走3978人)
 計23部門とし、入賞の機会を増やした。奇抜なコスチュームのランナーを表彰する「ユーモア賞」を新設。赤いアフロヘアに全身黒タイツ姿の宮本博文さん(福井市)が初代1等に。


第24回 2001年10月7日 エントリー4249人(出走3634人)
 男子5キロ10歳代に含まれていた男子中学生を独立、45人がエントリーした。県鍼灸師会が初めて出走前後の無料ケアサービスを実施。県柔道整復師会のブースとともに人気を集めた。


第25回 2002年10月6日 エントリー4468人(出走3955人)
 完走証に自己申告の目標タイムを記載。従来の公式記録、実測タイムと合わせて3つのタイムが並んだ。開会式会場を福井市中央公園に変更した。


第26回 2003年10月5日 エントリー4371人(出走3996人)
 5キロの中学女子を新設。10キロとハーフのコースを変更、道幅が広くなり、直線的で全国に誇れるコースに。ハーフ男子公認に山梨学院大が参戦、上位10傑に8人が入った。


第27回 2004年10月10日 エントリー3978人(出走3603人)
 7月の福井豪雨の影響で福井市を中心に参加者が大幅減。翌年の知的障害者の世界スポーツ大会をアピールしようと、県内の障害者や支援者ら約300人が聖火リレーした。


第28回 2005年10月2日 エントリー3910人(出走3648人)
 暑さと交通事情に配慮し、スタート時間を1時間繰り上げ。救命ボランティア団体「REM」が初出動。自動体外式除細動器(AED)を携えて沿道に待機、走者を見守った。


第29回 2006年10月1日 エントリー4337人(出走4145人)
 福井地検の検事や職員23人が5キロなどに出場、裁判員制度をPRした。共同募金運動60周年を記念し、視力・聴力障害者や県社協職員ら48人が横断幕を手に5キロを走った。


第30回 2007年10月7日 エントリー6167人(出走5590人)
 記念大会として▽ゲストランナーに千葉真子さん▽女性部門を増設▽参加賞にボディーバッグ▽大会模様をインターネット動画配信―などの企画を用意し、市民ランナーを迎える。






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