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福井の寺にあった真田幸村の首塚 西尾仁左衛門が討ち取り供養

(2016年1月22日午前7時10分)

拡大 真田幸村の首塚があった孝顕寺。今は痕跡が残っていない=福井市足羽1丁目 真田幸村の首塚があった孝顕寺。今は痕跡が残っていない=福井市足羽1丁目


 今年のNHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集める戦国武将真田幸村(信繁)。幸村を討ち取ったのは2代福井藩主松平忠直の家臣、西尾仁左衛門とされ、幸村の“首塚”も福井市に存在した。仁左衛門が幸村の供養のため造ったもので、首塚に安置されていた地蔵像が、同市立郷土歴史博物館に保存されている。しかし、首を埋めたとされる場所は秘密とされ、400年たった現在も謎に包まれている。

 同館によると、幸村は、大坂夏の陣で豊臣方の武将として活躍、徳川家康の本陣に果敢に攻め込んだ名将として知られる。しかし数度にわたる突撃で疲弊。1615年、陣を構えていた茶臼山(現大阪市)近くで、忠直の足軽大将だった仁左衛門に討ち取られたとされる。

 首塚があったのは、初代福井藩主結城秀康と西尾家の菩提寺「孝顕寺」(福井市足羽1丁目)の境内。仁左衛門が首を福井に持ち帰り、供養のため造ったとされる。ただ、今は痕跡は残っておらず、同寺も「境内のどこにあったのか不明」という。

 西尾家に伝わる文書によると、首塚に埋められたのは幸村の鎧袖(よろいそで)で、首は真田一族に奪い返されるのを恐れ、さらに別の場所に埋葬されたことになっている。その場所は西尾家一子相伝の秘密だという。

 首塚には、高さ約90センチの地蔵像、通称「真田地蔵」が安置されていた。笏谷石製で背面には幸村の法名「大機院」が刻まれている。1975年、仁左衛門の子孫から同館に寄贈された。同館の印牧信明学芸員は「仁左衛門が幸村を討ち取った逸話は、越前勢が夏の陣で活躍したことの表れの一つ」という。

 地蔵像には不思議な言い伝えもある。地蔵の首はいつしか破損して地面に落ちたが、元通り載せようとすると、その人は必ず熱病に悩まされたという。20年ほど前に同館で補修されて首はつながっているが、印牧学芸員は「その際、熱病にかかったという話はない。幸村という偉大な武将への畏怖から生まれた伝承では」と話す。

 同館には幸村のなぎなたや、大坂の陣で使ったという采配も残る。今夏には、夏の陣関係の史料を紹介する企画展を予定し、地蔵像をはじめ幸村ゆかりの品を展示する。

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