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龍馬の手紙新発見 浮かぶ福井藩との親密さ

(2017年2月8日午前7時30分)

 【論説】幕末の志士坂本龍馬が1867(慶応3)年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江に書いた手紙が見つかった。福井藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府に出仕させるよう求める内容。「新国家」建設にまい進した龍馬と福井藩の深い関係がうかがえる。今年は大政奉還から150年、来年は明治維新から150年。龍馬を通じ幕末維新期に福井藩の果たした役割を見直したい。

 1862(文久2)年、前福井藩主松平春嶽が幕府の政事総裁職に就いたころ、龍馬は江戸で春嶽と出会った。龍馬の話を聞いた春嶽は共鳴し、龍馬を勝海舟に紹介したともいわれている。

 翌63年、龍馬は勝の命を受けて福井を訪れた。神戸に海軍塾を建設するための資金を援助してもらうのが目的だった。海軍力強化は、福井藩が政治顧問として熊本から招いた横井小楠も提唱しており、福井藩が大金千両を融資した記録が残る。当時の福井藩は、小楠や三岡が中心となって財政改革に成功していた。このとき龍馬は小楠とともに三岡宅を訪ね、一晩飲み明かし、国事について語り合ったという。

 龍馬はかつて「尊攘(そんじょう)の志士」だったが、勝の強い感化を受け、さらに福井藩論にふれることで大きく脱皮。「『天下の公論』による全国的統一国家の実現をめざす点で、福井藩と深いつながりを持つようになった」(故三上一夫・福井工大名誉教授)とされる。

 龍馬は67年再び福井を訪れ、10月末に三岡と会談。3年前に発見された土佐藩の重臣後藤象二郎宛ての龍馬の手紙の草稿には、会談の様子や、新政府の財政担当者に三岡を強く推す言葉が記されていた。

 今回発見された手紙はこれに続く内容で、11月10日付。三岡の一日も早い出仕が実現するよう中根に要請している。この5日後、龍馬は暗殺されるが、三岡は新政府の財政担当者に就任。太政官札を発行し、五箇条の御誓文の原案を書くなど活躍した。

 こうみてくると、龍馬の政治の表舞台への登場に福井藩が関わり、最後の大仕事も三岡のスカウトという福井藩絡みだった。

 龍馬は姉への手紙で「一大藩(福井藩)に頼りにされ」と書き、今回の手紙では春嶽の上京について「千万の兵を得たような心持ち」と信頼感を記している。

 幕府を支持する勢力と倒幕派の間の調整役として、平和的に政局を打開しようとした点でも龍馬と福井藩は重なり合う。両者の親密な関係が歴史の歯車を大きく回したともいえよう。

 明治維新から150年の来年は、福井、高知、山口、鹿児島県などで博覧会など記念事業が計画されている。本県は龍馬の手紙などを通じて、幕末の政治史でこれまであまり光が当たらなかった福井藩の存在を強くアピールしたい。

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