激震 福井地震

激震 福井地震

福井地震

1948年6月28日午後5時13分(当時はサマータイムで現在の同4時13分)、福井平野(福井県坂井市丸岡町)を震源とする直下型地震が発生した。マグニチュード(M)7・1。これを契機に震度の指標が見直され、最大値となる震度7(激震)が設けられた。家屋全壊は県内で約3万5千戸。死者3769人は2011年の東日本大震災(22199人、行方不明者含む)、1995年の阪神大震災(6437人、同)に次いで戦後3番目に多い。1カ月足らずで起きた7月25日の豪雨では、地震で損傷した九頭竜川堤防が決壊して大規模な洪水が発生した。

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足ちぎれ
絶命した少年

少年を抱いたおじいさんは立ち上がれない。腰を抜かしたのか膝立ち状態で砂利道をずり歩き、「フミコさんー、フミコさんー」と少年の母の名を叫んでいた。少年の右足は太ももから下が切断されていた。左足もほぼ同じ位置で切れ、皮一枚でかろうじてつながっていた。永平寺町松岡吉野の自宅近くの神社前だった。布目鈴子さん(85)=同町松岡吉野堺=が目の当たりにしたのは「まさに地獄絵図」。思い出すと今も涙がこぼれる。

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妹の
亡きがら背負い

福井地震から3日後、布目輝雄さん(86)=福井県永平寺町=は当時5歳の妹、トシ子さんの亡きがらを背負い、父とともに自宅から火葬場に向かった。玄関前で立ち尽くした家族は、妹の姿が見えなくなるまで見送った。4人きょうだいで唯一の女の子だった。長男の輝雄さんにとって、10歳以上離れた妹はかわいくて仕方なかったから、「どうでも自分がおぶっていってやりたかった」。

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下敷きの母
最期みとる

福井県福井市木田町に住んでいた当時福井第一高(現藤島高)3年の三崎四郎さん(88)=同市=はその時、斜め向かいの家の玄関にいた。ごう音とともに激しい揺れに襲われ、自宅を含め周りの家がばたばたと倒れた。土ぼこりが舞う中、下敷きにならないよう道の真ん中をはうように逃れた。「世の終わりが来た」と思った。5人家族のうち母だけ姿がなかった。台所にいたはずと、落ちた屋根の板をはがすうち「かすかな声が聞こえてきた。大きな梁(はり)に挟まれて動けずにいた。

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堤防決壊、
水害追い打ち

西藤島中(現灯明寺中)1年で13歳だった細川嘉徳さん(83)=福井県福井市=は、日野川河川敷で家の畑仕事を手伝っていて、強烈な揺れに襲われた。地面に倒されながら「何が起きたのか全く分からなかった」。最初の揺れが収まると、急いで堤防に駆け上がった。約500メートル先にある現安竹町の自宅を確かめるためだ。集落を覆う土煙が晴れるのを1分ほど待った。目に飛び込んできたのは、一面がれきの「別世界」だった。

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県都、
再び焼け野原

爆風で玄関の戸ごと外に吹き飛ばされ、福井城址のお堀の水をかぶって熱と煙に耐えた1945年の福井空襲。父が宮司を務める佐佳枝廼社(福井県福井市大手3丁目)近くで、命からがら一夜を過ごした福山テル子さん(85)=現名誉宮司=は、焦土と化した市街地を目の当たりにした。それから3年。本殿が全焼した境内では再建作業がまだ続いていた。地響きを感じたのは、福井第一高(現藤島高)から下校し、仮設の社務所で休んでいたときだった。「アメリカさん(進駐軍)の戦車がまた来たんかな」。一瞬そう思ったが、すぐに激しい縦揺れに襲われた。

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校庭、
みんなパニック

兵庫村(現福井県坂井市)兵庫中の校庭。バレーボールの試合を3日後に控え、三井延子さん(83)=福井県鯖江市=ら同校2年の女子生徒たちは、円になって元気よくパスを回していた。そこに突然の揺れ。ゴオーッという地鳴りのような音も聞こえた。「みんなパニック。夢中で走リ出した」。一目散に校門を目指した。

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姉と弟、
激動の人生

4歳の弟は、太い梁(はり)が直撃し動かなくなった父に「お父ちゃん、お父ちゃん」と声を掛け続けた。 当時中学2年の姉は父の使いに出ていて無事だった。自宅にいた母は2歳の弟をかばうように亡くなり、助け出された弟も、その日の晩に息を引き取った。母のおなかには赤ちゃんがいた。家族のうち生き残った大人は75歳の祖母だけ。しかし腕をけがしていた祖母は寝込むようになり、8月13日、ほしがっていたスイカをきれいに食べた後に眠るように亡くなった。13歳と4歳のきょうだいが残された。

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【動画紙芝居】片腕の彫刻家

福井地震で左腕を失いながらも生き延び、半世紀以上にわたり創作に励んだ福井市の彫刻家加藤恒勝さん(享年84)の被災体験を描いた紙芝居が同地震から70年に合わせ制作された。小中学校や公民館に貸し出す計画で、発起人の男性は「生き抜く力や自助共助の大切さを子どもたちに伝えたい」と話す。
このほど、順化お堀の灯り実行委員会が、福井市明道中放送部にナレーションを依頼し、動画化した。
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論説
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越山若水
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ふくい防災最前線
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【写真で振り返る福井地震】

福井県立博物館 白黒写真提供

人工知能による白黒画像のカラー化

早稲田大学理工学術院 石川博研究室の飯塚里志研究院講師らにより
科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)の一環として開発されたプログラムで
人工知能が白黒写真のコンテンツを判断して色付けをする機能を利用。
詳しくはこちら▶
画像クリックで拡大▶


画像【固い決意】
画像【落ちた橋】
画像【地割れ】
画像【仮住まい】
画像【露店で食品】
画像【倒壊の城ご視察】
画像【痛み耐え】
画像【脱出】
画像【祈り】
画像【焦土と化した福井市街地】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】
画像【「震水災復興写真集 福井県」から】

今もあせぬ
被災の記憶

福井地震の発生から70年の節目を迎えた28日、福井市や永平寺町で追悼式が営まれた。遺族や震災を経験した高齢者らが参列。犠牲となったかけがえのない家族らに思いを寄せ、今もあせぬ被災の記憶が教訓として受け継がれるよう願った。

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エバンスさん
70年越し悲願

廃墟(はいきょ)と化した街、あちこちに転がる遺体。1948年の福井地震発生直後、15歳で目にした福井市街地の見るに堪えない惨状が、ずっと脳裏から離れなかった。連合国軍総司令部(GHQ)の救援活動に同行した米ワシントン在住のジャン・エバンスさん(85)。70年越しの念願がかなって福井市を訪れ、28日の追悼式に参列して犠牲者の冥福を祈った。「きょうはとても特別な日。困難に負けずによみがえった街に祝意を表したい」と目を潤ませた。

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「大森式地震計」の発明

福井市出身の地震学者、大森房吉(1868~1923年)は、現在も使われる震源地を測定する公式の発見や、地震帯を見いだし地震予知に一歩を踏み出すなど、地震学の世界的権威とまで称された。その大森の名を、最初に知らしめたのが1898年の「大森式地震計」の発明とされる。ぜんまい仕掛けなどで動くドラムに煤(すす)のついた紙を巻いて記録する画期的な方法により、従来の地震計の欠点を解消。地震発生から終息まで連続記録できるようになった。

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震度分布図を公開

福井県の地域防災計画は最大震度7となるケースを想定しており、福井地震と同様の地震が発生した場合、最大で3万人近くの死傷者を見込んでいる。県内各市町は同計画の想定や独自調査を基に、最も被害が大きくなるケースの震度分布図を公開している。県は「発生時の危険性を知り、防災意識を高めることは、いつ発生するか分からない地震に対して重要」と訴えている。

複合災害学び、
備える

「複合災害・福井地震70年シンポジウム~過去の災害に学び、備える~」(国土交通省福井河川国道事務所主催、福井新聞社、NHK福井放送局共催)は22日、福井市の県自治会館で開かれた。地震と洪水の複合災害だったことや、被害の甚大さを研究者が解説。70年前の大災害を教訓に、今後の自然災害に対する備えのあり方を考えた。

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