高校球児の夢舞台甲子園。春の選抜は県大会、地区大会の先にある

 北信越大会への出場権をかけて連日熱戦を展開した北信越地区高校野球福井県大会。雨で決勝と3位決定戦が9月11日に延びた。今回が141回目の開催。上位3チームが出場する北信越地区大会は10月12日から新潟県で開かれ今回で139回目。毎年春と秋に開かれている福井県大会と北信越大会の通算開催回数に2回のずれがある。なぜ2回のずれが。読者からの問い合わせもあり、いろいろ調べてみると夏の大会予選も含めて戦後の高校野球の地域分けの変遷が見えた。地理的に近畿に近い福井県は近畿と中部の狭間で揺れ動いた高校野球の歴史があった。(M)

 1977年に発行された「福井県高校野球史」によると6・3・3制の新しい学校制度がスタートした1948年(昭和23年)、全国を8地区に分けて春と秋にブロック大会を開催することが全国高校野球連盟の理事会で決まった。秋の地区大会に向けて急きょ代表校を選ぶために開かれたのが第1回秋季知事杯争奪大会だった。この年の夏の甲子園は北陸3県で代表校が選ばれていて、秋の県大会は北陸大会に出場した武生、敦賀、三国、小浜の4校で優勝を争い、武生が第一回の優勝校となった。

 地区大会で福井県は近畿地区に振り分けられた。大阪、兵庫、京都、和歌山、奈良、滋賀の近畿6県に三重、福井が加わり8府県8校で争った。福井県代表の武生は兵庫県の滝川高校に1回戦で敗れた。大阪の大鉄高校が優勝した。中部地区大会は愛知、岐阜、静岡、石川、富山、新潟の6県代表で行われた。

 49年春の第2回県大会は10チームが参加して新設された福井球場で開かれ武生が前年秋に続いて優勝した。地区大会は長野、山梨も加わり中部8県が参加して富山県で開かれたが、福井県は近畿地区に所属していたため参加できなかった。夏の甲子園には武生が、福井県大会、北陸予選を勝ち抜いて念願の出場を果たした。

 同年9月の全国高野連の理事会で地区大会の再編成が決まり、中部地区から北信越を分離し全国9ブロックで争うことが決まった。福井は近畿から北信越に移動した。第1回の北信越大会が長野市で開かれ、福井県からは秋の第3回県大会で優勝した若狭が出場した。

 各県に春秋の県大会が誕生してから1年後に北信越大会が生まれたことが2回の通算回数のずれとなっている。

 10月の139回北信越大会には、決勝に進出した金津と福井工大福井に3位決定戦の勝者が出場する。

続きは 夏の大会出場校決定も地域が揺れた

 【Dのコラム】全文は福井新聞D刊に掲載しています

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