延長戦の末に韓国に敗れ、肩を落とす上田(奥右から2人目)ら日本イレブン=ボゴール(共同)

 いったん、ピッチに入ってしまえば競技歴や年齢などは関係ない。同じ条件のもとに、同じルールで勝敗を争う。それがスポーツの良さだ。そうはいうものの、今回のジャカルタ・アジア大会を戦った男子のU―21日本代表は、カテゴリーで上となるU―23年代の韓国を相手によく戦ったと思う。

 決勝トーナメントに入ってから準決勝までの3試合をすべて1点差で勝ち上がった。内容はともかくとして、その勝負強さは褒められるものだろう。森保一監督は大会前に目標を「4強」と語っていた。ベスト4に入れば、準決勝で敗れたとしても3位決定戦を行える。2年後の東京五輪を目指すチームは、アジア予選がないために真剣勝負の場が限られる。このチームにいま一番必要なのは経験。その意味で、五輪本番と同じ過密日程のなかで7試合をこなすという、今大会の当初の目標をクリアした。

 決勝のカードは韓国戦。多くの人も日韓戦を望んでいたのではないだろうか。どうせやるのだったら最強のチームがいい。李承佑(イ・スンウ)、黄喜燦(ファン・ヒチャン)の欧州組を呼び戻したU―23代表に、オーバーエージ枠として孫興民(ソン・フンミン)、趙賢祐(チョ・ヒョヌ)、黄義助(ファン・ウィジョ)の3人を加えた韓国は、日本が厳しい試合を経験するという意味ではこれ以上ない対戦相手だった。

 正直、展開によっては日本が大敗する可能性もあると思っていた。しかし、チームというのは大会のなかで成長するのだということを今回のU―21日本代表が証明した。大会序盤はコンビネーション不足もあるのだろうが、それ以上に気迫が伝わってこなかった。ところが、タイトルが懸かった決戦の相手が、ライバル心をかき立てる韓国だったことが、気持ちを前面に出して戦うという良い面を引き出してくれたのではないだろうか。

 冷静に見れば日本は、韓国と互角の戦ってタイトルを争うというレベルのチームではなかった。当然ながら、前半立ち上がりから圧倒的に韓国に攻め込まれた。この状況で、日本が勝機をつかむには守ってのカウンターなど、限られた手段しかなかった。それでも延長までもつれ込む接戦となったのは、日本の選手たちの「タイトルを取りたい」という気持ちが強かったからだろう。

 コンタクトプレーが伴うサッカーでは、気迫が技術を抑え込むことがある。もちろん1トップ2シャドーを配置する3―4―3の布陣が、攻め込まれたときは5バックになるという守備重視のシステムだったのも大きく関係していた。それでも無失点で延長戦まで持ち込んだ日本の粘り強さは、グループリーグの時点では予想していなかった。

 0―0で延長に突入した直後の孫興民のシュートがわずかに右に外れ、日本には運があると思った。劣勢でもタイトルを取るチームがあるが、このような試合展開というのが多い。しかし、そう甘くなかった。延長前半3分と11分に李承佑と黄喜燦に立て続けにゴールを許し、0―2と大きなビハインドを負った。そして点を決めた韓国の2人はU―23年代とはいえ、今夏のワールドカップ(W杯)ロシア大会に出場した選手だった。経験という面でも日本の選手とは大きな開きがあったことは事実だ。

 一方、希望を感じたさせた部分もあった。それは、一人として下を向く選手が日本にいなかったことだ。延長後半10分に上田綺世が初瀬亮の右CKを豪快にヘッドで合わせ、1点差に迫るゴールで追撃した。その後、試合終了までの少ない時間にもゴールを狙う姿勢が前面に出ていた。残念ながら同点ゴールは生まれなかったものの、強豪を相手にしなければ分からないこともある。残念ながら銀メダルに終わったが、その経験をできたのだから、価値ある大会になったに違いない。

 タイトルは取るに越したことはない。ただ、負けることで味わった悔しさが、その後の選手の成長を促すことは数多くある。今回のメンバーには、それを期待したい。ただ、現実を見れば、ここからの2年で大きな飛躍がなければ、自国開催の五輪でピッチに立つことはできないだろう。

 インドネシアで行われたアジア大会の登録メンバーは20人だった。しかし、五輪は2人少ない18人。最大3選手を招集できるオーバーエージ枠を使えば残りは15人だ。しかも、今大会のチームには有力選手が呼ばれていないのだ。具体的には、「森保ジャパン」の船出となる9月の国際親善試合を戦うA代表に招集された堂安律、伊達達哉、冨安健洋というU―21年代に該当する海外組に加え、U―19年代の久保建英らだ。

 おそらく今回のU―21日本代表のメンバーのなかで「東京2020」を迎えられるのは、ほんの一握りだろう。そのなかで今回の敗戦の悔しさを糧に飛躍する選手は誰だろうか。本来はチームの継続ということを考えれば今回のメンバーから、東京五輪に出場する選手が数多く出ることが望ましい。そのためには各選手が、所属チームに帰っても高い意識を持ち続け成長することが不可欠だ。サッカーにおける21歳は決して若い年代ではない。チームの中心になっても、なんの不思議もないのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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