【越山若水】イチジクほど美味なものはない、と息子たちに勧めても、誰一人見向きもしない。長男は洋菓子の方が好きだと言い、次男や三男は匂いが変、形が不気味だと言う▼「女房までが(略)半ば憐(あわ)れむように…」。数学者の藤原正彦さんが古いエッセーでこう嘆いていた。わが家みたいだと苦笑したものである▼当方の場合はイチジクではなくアケビだったが、家人の誰も二度と手を出さなかった。分かってないなぁと首をかしげながら、藤原さん同様に一人で平らげた▼栽培ものとは別に、秋の野山には野生の果実がたくさん生(な)る。昔の子のいいおやつだった。イチジクやアケビのほかナツメにザクロ、クリやカキだって、買わずとも手に入った▼これらが本当に美味かというと、自信はない。藤原さんも「私が美味と思うのは、懐かしさという情緒でまぶしてあるからなのだろう」と書いている。確かに菓子やケーキに太刀打ちできそうもない▼藤原さんはこんな光景を書き留めている。デパートの食品売り場で、中年男性が不意に消えたかと思うと、イチジクのパックを持って現れ、奥さんの持つかごに入れた▼「いくら」と小声で奥さん。「500円」と彼も小声。不満げな顔と決まり悪そうな顔。一人で食べることになるだろう彼に、妙に親近感を覚えたというのが結びである。哀愁の漂う秋にふさわしく、印象深い。

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