人事異動を受けて6月下旬にさいたま市に引っ越した。住む場所も職場も変わる転勤は受け入れがたく、憂鬱で、しばらくは心も体もついていかず苦しんだ。でも、一つだけ楽しみなことがあった。浦和には好きなサッカーチームがある。埼玉スタジアムに応援に行こう―。そう思うと、少しだけ気が晴れた。

 最初に足を運んだのは、暑さの真っただ中、8月初旬だった。浦和駅前からバスに乗ってスタジアムに向かう。道は混んでいて時間がかかり、キックオフの時間を過ぎてバスが到着した。スタジアムに近づくと、歓声が聞こえる。走りだしていた。

 試合を見ながら一喜一憂し、声を張り上げる。隣にいる小学生やそのお父さんと笑い合う。後半になったら、心地いい風が吹いてきた。芝があまりに鮮やかで、夜景がきれいで、胸に染みた。試合が終わり、深呼吸をして、周囲を見渡す。自分が住む街にサッカーチームがある幸せを知った。浦和に来てよかったと、そのとき初めて思った。

 津村記久子の短編集『ディス・イズ・ザ・デイ』は、そんな時に読んだ作品だ。J2のサッカーチームのサポーターたちを主人公に、11の物語を収める。本を開くと、日本地図と22の架空のチームのエンブレムが描かれていて、それを見るだけで楽しくなる。

 以前は親子4人で「泉大津ディアブロ」を応援しに行っていたのに、いつの間にか長男が離脱して1人で「琵琶湖トルメンタス」の試合を見に行くようになる一編「若松家ダービー」は、息子の成長とそれを見守る親の戸惑いを描く。

「おばあちゃんの好きな選手」では、両親の離婚後、父方のおばあちゃんとサッカーを見に行く孫の繊細な思いがつづられる。「権現様の弟、旅に出る」の主人公・荘介は、職場で上司のパワーハラスメントを受けている。

 それぞれの登場人物にとって、地元のサッカーチームを応援することがどんな意味を持つのか。津村が紡ぎだすドラマはときに温かく、ときに切ない。

 応援は喜びだけでなく、苦しみも伴う。チームはいつも勝つわけではないし、降格することもあるのだ。「また夜が明けるまで」では、「ヴェーレ浜松」を応援する忍と、「モルゲン土佐」のサポーターの文子がひょんなことから知り合い、一緒に試合を観戦する。片や1部への昇格が決まり、片や3部降格が決まる試合の結果はまさに“天国と地獄”だ。だが2人は「また一緒にサッカーを観ましょうよ」と言って別れる。

 なぜ、サポーターたちはこんなにも熱心に応援するのか。

「歓声を聞いていると、功は自分がただフィールドを眺めながら人々の声と熱を受信する装置になったような気分がした。そして瞬間の価値を、本当の意味で知覚しているような思いもした。人々はそれぞれに、自分の生活の喜びも不安も頭の中には置きながら、それでも心を投げ出して他人の勝負の一瞬を自分の中に通す。それはかけがえのない時間だった」(「海が輝いている」)

 チームのエンブレムやマスコット、スタジアムで売っている食べ物、応援で使われる音楽、そして、1人の選手が好きになる理由…。サッカーの魅力がぎっしり詰まっている。

(朝日新聞出版 1600円+税)=田村文

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