東京と福井で大違いな遊び場事情

とは言いつつも、時間がなければ自然がいくらあっても遊ぶことができません。宿題が多ければ終わるまでは遊べないですし、自宅に帰れなければ夕方までは児童クラブで遊ぶなど、子供たちの“自由時間”というものは場所に関係なく大人たちの関わり方次第で大きく変わってしまいます。親の仕事が忙しければ子供たちも安全に自由に遊べないですし、宿題の量が多かったり塾や習い事が多ければ多いほど子供たちの“自由時間”はどんどん減ってしまいます。

東京だろうが福井だろうが今の子供たちに共通することは、“激務化”が進んでいて遊びづかれではなく“激務づかれ”をしています。それが10年前の僕が野球の現役時代になんとなく感じた子供たちの忙しさ。実際、僕が運営している「野球を教えない野球レッスン」に通う子供たちは、一週間塾や習い事でビッシリ予定がつまっていますし、僕の娘も宿題があったり学童クラブや習い事で平日はほぼ自由な遊び時間がありません。あの10年前の違和感は今ハッキリとみえてきたのです。

■子供の教育に正解はないけれど・・・

環境に関係なく激務化する子供たち。子育てに正解はないですし、時代の変化に伴って教育が変化していくのは当たり前なことです。ただ、子供はあくまでも子供。子供時代にしかできないことは大人になるとなかなかできないこともたしかです。先にあげた秘密基地作りや泥だんご作りだったり、自分たちで作ったルールの遊びなども子供だからこその発想だったりするものですが、“自由時間”が少なければ少ないほどそれができなくなってしまいます。
なんとかして子供たちが子供たちらしく毎日をはしゃぎ回ることができる環境や時間を作ってあげるのも僕たち大人の役割なのかもしれません。

■自由時間が増えることで生まれる子供の子供による子供のための世界。

学校でいい成績をとることはとてもすばらしいことです。それと同時に、チョウチョを必死に追いかけたり木に登ったり、虫探しや花の収集など環境に溶け込みながら遊んだり、新しいルールを作ってスポーツをしたりすることも子供にとってはとても大切なことです。

鯖江市が取り入れたJK課(女子高生が大人といっしょにまちづくりする取り組み)は“役所”というお堅いイメージをこわして新しい風を吹き込みました。それと同じように大人が入ることができない子供たちだけの世界は、これから新しい時代を生きていくためには必要な世界で大人が決め込んでいる思い込みを壊すものかもしれません。

実は昔はあった子供たちだけの世界は、時代の流れとともに少なく限られたものになりつつあります。生まれた時からデジタル化である今の世界には、そもそも自由な発想で遊び回るという概念すらなくなってしまったのかもしれませんが、それでもスポーツ選手を目指す子供もいれば、自然とたわむれることで研究者になりたいという子供はいなくなったわけではないはずです。

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