アジア大会のバドミントン女子ダブルス決勝でプレーする高橋礼(手前)、松友組=ジャカルタ(共同)

 インドネシアのジャカルタで行われているアジア大会。バドミントン女子ダブルスは、高橋礼華・松友美佐紀組が、決勝で中国の陳清晨・賈一凡組に0―2で敗れ銀メダルだった。

 しかし、悲観的に捉える必要はない。両ゲームとも20―22の接戦。勝敗はどちらに転んでもおかしくはなかった。

 「タカマツペア」はリオデジャネイロ・オリンピックの金メダルペアであり、どうしても期待値が高くなってしまう。

 しかし、今回の団体戦での金、ダブルスでの銀は、東京オリンピックに向けて大きな前進になったと思う。

 今年の5月のこと、タカマツペアに取材する機会があった。オリンピック直後からインタビューの申し込みをしていたが、バドミントン選手は常に世界各地を転戦しており、話を聞く機会が限られいるため、オリンピックが終わってからおよそ2年が経ってからの取材となった。

 しかし、この時間の経過が良かった。年長の高橋が言う。

 「オリンピックが終わってから、次の目標設定をハッキリ言うことができない時期が続いていたので、話を聞いていただいても、煮え切らないものになっていたと思うんです」

 聞けば、金メダリストとしての様々な重圧がかかっていたのだという。

 「他の金メダリストの方たちとお会いすると、オーラに圧倒されそうになりました。自分たちは、そこまでの雰囲気は持っていないと思うことも多くて」

 オリンピックでは劇的な逆転勝ちを収め、ペアとしてのオーラは十分にあると私は感じていた。

 ひょっとしたら、二人は選手としてだけでなく、人間的により高い次元のことを求め過ぎていたのかもしれない。

 金メダリストらしいオーラを。 金メダリストとして恥ずかしくない、バドミントンを。

 そして東京オリンピックが近づくにつれ、マスコミはふたりから次の目標を聞きだそうとした。

 高橋は言う。「次に目指すものがあるとすれば、オリンピックの金メダルしかありませんでした。でも、簡単に東京で金メダルを目指します、とは言えなかったんです」

 松友も同じ気持ちだった。ようやく二人の気持ちが前向きにシンクロし始めたのは、昨年の暮れのことだ。松友は振り返る。

 「もう一度、オリンピックに出ると考えた時に、私には(高橋)先輩以外と目指すという選択肢はあり得ませんでした」

 高橋も同じ気持ちだった。

 「東京に出場するなら金メダルしかないと、コーチと松友には話しました。そして、松友と連覇したいとはっきり言うことができたんです」

 既にリオから1年以上の歳月が経っていた。惰性になりかけていた日常が、また彩を取り戻し始めたという。

 ただし、タカマツペアも安泰ではない。世界選手権では永原和可那・松本麻佑組に3回戦で敗れたが、永原と松本は一気に世界の頂点へと駆け上がった。その他にも福島由紀・広田彩花組も安定した力を誇っており、オリンピックに向けた出場権争いは激しさを増すだろう。

 アジア大会での決勝の後、松友はこんなコメントを残した。

 「久しぶりにいい試合ができました」。充実感あふれる言葉ではないか。

生島 淳(いくしま・じゅん)プロフィル

1967年、宮城県気仙沼市で生まれ。早大を卒業後広告代理店に勤務し、99年にスポーツライターとして独立。五輪、ラグビー、駅伝など国内外のスポーツを幅広く取材。米プロスポーツにも精通し、テレビ番組のキャスターも務める。黒田博樹ら元大リーガーの本の構成も手がけている。

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