閉会式を終え、記念写真に納まる(前列左から4人目から)大阪桐蔭・柿木、金足農・吉田、大阪桐蔭・中川、金足農・佐々木夢ら=8月21日、甲子園球場

 金足農なら、やってくれるのではないか。

 高校野球の夏の甲子園の決勝前、東北出身者としてそんな淡い期待を抱いていた。

 しかし、現実は甘くなかった。

 相手は春の優勝校、大阪桐蔭である。ドラフト候補の選手が複数いて、北大阪大会では九回二死まで相手のリードを許し、ぎりぎりまで追い込まれながらも逆転した勝負強さと運も持っている。

 それでも、ミラクルを起こしてきた金足農なら、第100回という記念すべき大会で、東北にはじめて深紅の大優勝旗をもたらしてくれるのではないか―そう期待したのだが、やはり大阪桐蔭は強かった。

 敗れたとはいえ、金足農はチャーミングだった。英語で言うならば「Lovable」、愛すべきチームだった。

 公立の農業高校というバックグラウンドもさることながら、チームには吉田輝星という絶対的なエースがいて、4番の打川和輝はちょっと太めで鈍足。しかし、大会が進むにつれて巧みな打撃センスを見せてくれた。

 6番の一塁手高橋佑輔は、3回戦の横浜戦で高校入学来初めてのホームランを放ったが、その一打が逆転勝ちにつながった。

 7番の菊地彪吾は打席ではほとんど期待できず、空振りするたびにため息が出たが、準々決勝の近江戦では9回裏、スクイズで二塁からためらうことなく走り、球史に残るサヨナラ勝ちの立役者となった。

 金足農の選手には、弱点がある。しかし、それを吹き飛ばす大きな仕事をした。甲子園を舞台に成長したからこそ、彼らは愛された。

 そんな彼らのプレーを見て、昭和の時代に生きた人間は、どこか「郷愁」を覚えたのではないか。

 21世紀の甲子園は、合理的な判断の領域が増えた。全国制覇を狙うならば継投は当たり前だ。

 しかし、金足農は昔のスタイルのままで決勝まで勝ち進んだ。エースはひとり。3年生だけでずっと戦ってきた。

 甲子園がたどってきた時間を、再確認させてくれる作用があったように思えてならない。

 合理的な発想からはみ出していたチーム、それが金足農だった。

 それにしても、東北勢は100回の歴史のなかで、9度決勝に駒を進めながら、すべて敗れている。あと1勝まで迫った学校は次の通りだ。

 ▽青森 三沢(第51回)八戸学院光星(第93、94回)

 ▽秋田 秋田中(第1回)金足農(第100回)

 ▽宮城 仙台育英第(71回、97回)東北(第85回)

 ▽福島 磐城(第53回)

 やはり、好投手を擁した学校が多い。太田幸司(三沢)、「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿(磐城)、大越基、佐藤世那(仙台育英)、ダルビッシュ有(東北)、そして吉田輝星。

 それでも好投手が一枚だけでは、なかなか勝ちきれない印象を受ける。少なくとも、二枚看板が必要条件なのだろうか?

 それでもこの8年間で4度、東北勢が決勝まで進出したことで、「そろそろ優勝は近いでしょう」と慰めてくれる人もいる。

 東北出身者として、その言葉を信じたい。でも、それほど甘くないとも思う。

 果たして、私が生きている間に、東北の学校が優勝することはできるのだろうか。

生島 淳(いくしま・じゅん)プロフィル

1967年、宮城県気仙沼市で生まれ。早大を卒業後広告代理店に勤務し、99年にスポーツライターとして独立。五輪、ラグビー、駅伝など国内外のスポーツを幅広く取材。米プロスポーツにも精通し、テレビ番組のキャスターも務める。黒田博樹ら元大リーガーの本の構成も手がけている。

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