◆異常気象?と自然界に学ぶ

 古神道にはこの世(顕界)と、あの世(幽界)は合わせ鏡になっている、という考えがあるという(『言霊の宇宙へ』菅田正昭 著)。このことは古神道の世界だけでいわれていることではないようです。ではこの異常気象も合わせ鏡?

 8月9日の福井新聞によると、7月8日から32日間連続で最高気温32度以上の真夏日が続いていたという。“命に関わる暑さ”と連日マスコミで報道されていたあの猛暑もこの台風13号の接近に伴い、7月12日以来の27日ぶりの雨が降ってくれました。

 空を見上げると今にも泣きそうな天気で、これまでなら必ず雨になるという状況であってもしばらくすると日が差してきて猛暑日に変わってしまうということがこれまでの日々、何回あったことでしょう。

 台風12号のあとだったでしょうか。私たちの地区ではまるで絹雨のような雨でしたが、舗装道路が一面に濡れるほどに降ってくれました。ようやく雨が降ってくれるかと思う間もなく、しばらくして再び外に出てみると雨は止んでしまっていて、道路もすっかり乾いてしまっていました。つかの間の雨でした。だからでしょうか。他の地区の人に聞いてみても誰も雨は降っていないというのです。まさかこの地区にだけ降ったというのではないでしょうが…。

 でも、人間も自然界ももう限界!。そう思えたときの、ようやくの待ちに待った雨でした。おかげで、人間をはじめ自然界もやっとの思いで一息継ぐことができました。(夏場でも比較的涼しくこれまでクーラーなどをほとんど必要としない生活を送って来た身には、突然の“命に関わる危険な暑さ”であってクーラ~の設置してある部屋に駆け込んでも、夜間の長時間のクーラ―を体が受け付けず、かといって、扇風機ではとてもおよびではない無風状態の暑さのなかでの幾夜かにはさすがに一時どうなることかと思いました。しかし、8月に入って数日もすると、日中はまだまだ猛暑なのですが、明け方のかすかに感じる涼しさの中に既に秋風を感じるようにもなってきていました。)

 自然界といえば、身近なところでは、畑があげられます。そんな中で畑に水をやらなければならないことに気づいたのは7月も終わり近くになって、きゅうりの状態を見てからでした。

 これまでの畑作りにおいては、蒔いたり、植えたりするとき以外はあまり手を加えることがなく、ほとんど自然に任せるままで、これまでの夏場においてそれほどまでに水やりをした覚えがないのです。

 今年は、畑の地表はあまりむき出しにはしないようにという自然栽培農法からの学びもあり、畑に生える草の力や、刈りとった草、畑の前の公園のまるで草原のように伸びに伸びていた草を刈り取ったものをたくさんいただいて、マルチとして敷き詰めたこともあって(公園には除草剤や農薬は一切使っていけないと決められているという)、畑一面に草やマルチに覆われて、7月下旬までは、畑の作物は、青々として、毎日畑を覗いて収穫しなければ、トマト、ナス、キュウリ、オクラ、つるむらさき、モロヘイヤ、黒うり、コンパニオンプランツとして植えた枝豆(植えた野菜が互いに良い影響を与え合う、枝豆は根が地下で肥料分として働くという)、そして伸びやかに生えたいろいろな自生えのもの、特にそのなかでかぼちゃのほくほくしておいしいこと、などなど全く水やりの必要を感じさせないほどに収穫に追われる日々でした。

 通りすがりの男の人に「草だらけやの。何か植えてあるんか?」と少し皮肉交じりに言われたこともありました。「草のおかげで今年は助かっているようです。自然栽培という方法では畑には草が必要だそうです」と、ここぞの思いで答えると、「ふーん。勉強しているんにゃの」と、それでもまだ不審げな様子で立ち去って行かれました。

 今年のきゅうりは、植えたときからあまり、生育は良くなく、今夏枯れずに持ってくれるだろうかという状態でしたので、あとからまた心配で少し追加して植えたのでした。それでもけなげにも精いっぱいに、黒々とした生きのいい実をつけて、家では食べきれないほどの収穫をもたらしてくれていました。

 8月に入って、早朝畑に行くと、一滴の雨も降らないこの天気続きの土ぼこりの立つ畑で、イネ科的な草の葉々にたくさんの露の玉がおりているのです。何処からの水分が朝露となって草々の葉におりているのでしょうか。その朝露のたった一滴一滴の水分が、こうして作物をも潤してくれていたのでしょうか。目立たない世界でこうした草々において営まれている自然界の光景の一端を目にしたとき、植物や地上に生きる生物の命のつながり合いのその本来の在りようを垣間見た思いがして、思わず見入ってしまいました。

 そして数日後、畑に行ってみると、雨は降らないのに畑一面草のマルチまでもその表面が、しっとりと濡れているのです。茄子やピーマンの手とした支柱からも水滴が落ちているのです。まさか朝露がこんなに?一瞬目を疑いました。

 この暑さ、畑の隣の人が、庭に水をやるときに、一緒に畑にも水をかけてくださっていたのでした。そしていつでも水を使ってくださいと言ってくださるのです。そのやさしい心配りに、朝露と重ね合わさって、私の心もしっとりと潤された思いでした。

 でもこうした、一滴一滴の朝露たちの在りようでは、この天気には決して打ち勝つことは出来ないであろうに・・・。それでも自然界に目を移せば、こうしたたった一滴一滴の朝露などによるつながり合いの中で、たくさんの命がこの猛暑にめげず育っていっているのです。

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