私事で恐縮だが、現在45歳、未婚である。顰蹙を承知で打ち明けてしまうが、「コドモを持ちたい」と思ったことが一度もない。電車やバスで泣きわめくコドモ。大人は忙しいのに「こっち向いて」と叫び続けるコドモ。何より、自分の時間がまったく持てないなんて。そんなのまっぴらごめんだと思ってきたし、親や親戚たちも、私にそれらのことを促したり詮索したりといった動きは一切見せない。

 この物語の主人公は40歳。海外出張先での一夜を経て、ひとまわり下の部下の子を腹に宿す。そんな彼女を取り巻く環境は最悪だ。実家に帰れば、親戚たちが寄ってたかって、東京での彼女の私生活を詮索する。独身の旧友と会えば「男は生物学的に、いくつになっても若い女と結婚できる」と勝ち誇られる。会社に戻れば、コドモがいないから自由がきく、ただそれだけの理由で、上司がビッグプロジェクトを持ちかけてくる。そして当該の部下は彼女をカラオケルームに呼び出すと、その妊娠が自分によるものではないという言質を引っぱりだして、安心しきって屈託のない笑顔でビールをあおる。

 けれど彼女の内心は、気づけばすでに「産む」ことを前提としている。積極的ではなく、きわめて消極的な態度で。ビールを勧められても黒豆茶を頼む。缶入りしることバランス栄養食で栄養補給。無自覚な上司の本音を聞きながら「この人たちは、私のお腹が大きくなったらどうするんだろう」とぼんやり考える。

 過酷なことが次々起こる。……いや、そうではない。現実はすでに過酷であり、コトはすでに起こっている。未婚の出産をすることになって、弱者(とされる人たち)が直面している問題に、彼女のアンテナが反応しやすくなっている。出張で訪れた旅館の女将の打ち明け話。兄が真剣交際するブラジル人母子の窮状。哀れな人間に施しを与えるみたいにして、コドモの父親役を引き受けようと名乗り出る旧友。多くの「善意」が「見下し」から生まれていることを、主人公は知る。

 ほら、言わんこっちゃない!と読みながら思う。身の丈に合わぬものを望んだところで、ろくなことにならん。おとなしく、身を縮めて、それなりの平穏を生きる。人生は、それで十分なのだと、45歳未婚の私は自分に言い聞かせる。

 けれど物語は急に明転する。厳しい状況下にいる彼女を救うのは「個人」である。兄や姉。ワーキングマザーの同僚たち。幼馴染。1対1のつながりが、さらにつながって、主人公を支える。どんなに無遠慮な視線を浴びても、主人公は、下を向かずにいられるようになっていく。

 どんな幸せも、すでにそこにある。肝心なのは、それらを自分が、受け取るかどうか。ただそれだけなのだ。

(幻冬舎 1500円+税)=小川志津子

関連記事