2002年6月、サッカーW杯日韓大会でロシア戦に勝ち、トルシエ監督(中央手前)と喜ぶ松田直樹選手(右端)=横浜国際総合競技場

 とても悲しい出来事だった。しかし、そのことがあったからこそサッカー界、そして社会の意識は確実に変わった。軽々しく口にしていいことなのか迷うのだが、「松田直樹」という存在があったからこそ、日本の救命救急に対する意識がここまで高まったのではないだろうか。

 8月4日。この日はJ1横浜や日本代表で活躍した名DF松田さんの命日だった。7年前の8月2日、当時JFLに所属した松本の練習中に、松田さんは急性心筋梗塞を起こし倒れた。そして意識を取り戻さないままに2日後に亡くなった。34歳の若さだった。

 松田さんが倒れたとき、居合わせたメディカルスタッフが心臓マッサージなのどの懸命な応急処置を施したという。しかし、再び目を覚ますことはなかった。悔やまれるのは、そのグラウンドにAED(自動体外式除細動器)が設置されていなかったことだ。

 この痛ましい事故をきっかけに、日本サッカー協会は素早く動いた。AEDの所持と携行を、Jリーグだけでなく、JFL、女子のなでしこリーグ、フットサルのFリーグに対し義務づけたのだ。AEDが用意されたことにより、Jリーグではサポーターの命が救われることもあった。

 多くのサッカーファンが松田さんが背負った「背番号3」をしのぶ8月4日、松田さんが最後に所属したJ2松本は、リーグ戦の第27節で千葉と対戦した。場所は千葉の本拠地「フクダ電子アリーナ」。通称の「フクアリ」で親しまれるこのスタジアムのネーミングライツを取得している、フクダ電子はくしくも、全国の公共施設やスポーツ施設に設置されるAEDの多くを扱う医療機器メーカー。これも何かの巡り合わせだったに違いない。

 過去6年、松本は松田さんの命日前後のリーグ戦で一度も勝利を収めたことがなかった。前日の練習ではピッチ中央に松田さんの写真を置き、1分間の黙とうをささげた。そして反町康治監督は「今年は試合があるから選手とスタッフを全員集め、しっかり弔わなければならない」と伝えたという。

 J2に所属するチーム間の実力差というのは、想像以上に詰まっている。事実、前半の主導権を握ったのは、26節終了時で首位に立っている松本ではなく、14位と調子に乗りきれない千葉だった。前半41分にはハンドで得たPKを船山貴之が冷静に決め、千葉が先制。このまま流れをつかむかに思われた。

 ところが、サッカーというのは順調にきていても一つのミスや油断などをきっかけに相手にリズムが渡ってしまう。ポイントとなったのは、千葉DF近藤直也の緩慢な守備だった。

 「1点目は(前田)大然が速いというよりも近藤がちょっと大然のスピードをナメていた」

 反町監督がそう分析したプレー。岩上祐三が右サイドのオープンスペースへ放った縦パスを近藤が中途半端に流したところ。前田大然が後方からぶっちぎり、最後はGKロドリゲスとの1対1を冷静に左足で決めた。

 「2秒差があったら50メートルで勝てる」と反町監督が評価し、前日にはアジア大会のメンバー入りを果たしたいだてんアタッカーの同点ゴール。1―1で前半を折り返した松本は、後半にまったく違う顔を見せた。右サイドを起点に効果的なカウンターを繰り出し、千葉ゴールを脅かした。

 「(相手に)ボールを持たれてもよかった」

 この日、3得点全てに絡んだ右サイドの岩上が後半7分に強烈な右足シュート。2―1と勝ち越すと、後半16分にはなかなかお目にかかれない「オシャレ」なシュートが決まった。右サイドを突破した前田のマイナスの折り返しに中美慶哉は合わせることはできなかった。しかし、ボランチのポジションから駆け上がった岩間雄大がこれをフォローした。中美がシュートを打つタイミングでスライディングしたDFと出てきたGKの状況を見て「コースがなかったんで蹴る瞬間にひらめいた」というチップキックを選択。GKの頭上を抜く見事なループシュートで、試合を決定づける3点目を奪った。

 後半終了間際に1点は返されたが、3―2の見事な逆転勝利。今シーズン初の4連勝で、首位をがっちりとキープした。しかも松田さんの命日に初めて手にした勝ち点3。その勝利を特別な思いでかみしめていたのが、終盤の守備固めでピッチに立った36歳の田中隼磨だ。

 横浜F・マリノス時代の先輩・松田さんは憧れの存在だった。J1チームのオファーを受けながらもJ2の松本を選んだのは4年前。生まれ故郷という理由もあったが、それ以上に大きかったのは松田さんの遺志を継ぐことだった。その決意は欠番となっていた「背番号3」を自ら背負うことに表れている。

 「J1に戻るだけじゃ意味がない」「J1でマリノス(J1横浜)に勝つことをマツ(松田)さんは望んでいると思う」

 “サッカー小僧”という表現が、これほど似合う人物はいなかった。松田直樹という誰にでも愛される男は、いまでもさまざまな形で影響力を保ち続けている。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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