栗原績前会長が設けた道場で、練習に励む選手=福井市高木1丁目の福井県かるた協会

 小倉百人一首競技かるたの強豪選手を多数輩出し、「かるた王国」として全国に名をとどろかせる福井県。1月の競技かるた日本一を競う名人位戦は福井県選手同士の決戦となり、川崎文義名人(28)=越前市=が連覇、挑戦者の三好輝明八段(33)=同=が準名人となった。福井はなぜ「王国」を築けたのか—。背景にはトップレベルの選手が腕を競い合う福井渚会と、地道な普及活動があった。

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 川崎名人、三好準名人が所属する福井渚会。1982年に初めて同会選手として名人位戦に挑んだ栗原績(いさお)前会長と、91年に県勢初のクイーン位に輝いた山崎みゆき会長らが、県勢初の名人誕生へと、会を引っ張ってきた。

 栗原前会長は、敵陣の札を狙って激しく攻め込み、対戦相手に精神的なダメージを与えるスタイルを確立し、同会選手に浸透させた。「福井の攻めがるた」は、県外選手の脅威になっている。

 教えを受け継いだ山崎会長は「攻め続けて相手が守りに入ったらしめたもの。こちらは一層攻めに専念できる」。川崎名人も「攻めがるたは僕らの基本であり、劣勢に立ったとき立ち返る原点」と話す。基本戦術であると同時に、精神的な支柱でもあるようだ。

 山崎会長がクイーンに就くと、県内各地の教室やクラブから選手が続々と同会に集まり始めた。栗原前会長はいつでも好きなだけ練習できるようにと、96年に私財を投じて40畳の道場を福井市内に設けた。強い指導者と練習相手、磨かれた戦術、気兼ねなく使える練習場所。四つがそろった同会は、名人、クイーンを目指す選手が腕を磨き合う場となった。

 ちなみに、競技かるたが題材の人気漫画「ちはやふる」では、主要キャラクターの綿谷新(あらた)が、福井県出身の強豪選手という設定。漫画の編集担当の冨澤絵美さんは同会で栗原前会長からかるたを学んでおり、登場する福井の指導者「栗山勇(いさみ)」は栗原前会長がモデルで、栗山という名字も、栗原前会長と山崎会長の名字にあやかっているとか。

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 川崎名人ら福井渚会の選手は、もともとは地元の教室やクラブ出身。県内には子ども会や小学校、公民館単位で数多くの教室、クラブがある。全日本かるた協会発行の「競技かるた百年史」では「小中学生の競技者数は全国トップクラス」と評されている。

 福井渚会の発足は1921(大正10)年だが、48(昭和23)年に県かるた協会が発足。同協会の仙達実元会長ら福井渚会の選手が中心となり、福井市内をはじめ県内一円を巡って小中学生への普及に努めた。全国では所属選手だけの育成・強化に力を注ぐ団体も多いが、仙達元会長は底辺拡大にこだわったという。

 競技人口拡大のきっかけとなったのは、71年に滋賀県で行われた第1回全国小中学生かるた選手権大会。旧三国町雄島地区の選手の優勝が大きく報道され、競技かるたの認知度が急上昇、小学校や子ども会の活動が活発化した。子どもの送り迎えや付き添いの保護者も興味を持つようになり、札を読み上げる読手(どくしゅ)や指導者として活動を支えてくれるようになった。

 ■「雪国」も普及の大きな要因

 「福井が雪国であることも普及の大きな要因」と話すのは、福井県かるた協会の田中東一郎顧問。積雪の多い雪国福井では、冬の間は外で遊ぶことができない。「正月の遊びとして、かるたがほかの地域より深く親しまれてきたのではないか」

 田中顧問によると、雪国は人口の割に競技かるたの選手が多い傾向にあるという。強豪県として知られる宮城、石川はいずれも雪国だ。石川からは福井と同じく名人、クイーンの両方が誕生している。栗原前会長は長年の選手、指導者経験から「雪国の選手は総じて精神的に粘り強い」と感じる。「長い冬が競技かるたに欠かせない精神力を養うのかもね」

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