【越山若水】今月亡くなった劇団四季の創設者で演出家の浅利慶太さん。ミュージカル劇のロングラン公演を定着させた功績は広く知られ、日本の演劇史に偉大な足跡を残した▼「オペラ座の怪人」や「美女と野獣」「エクウス」などの作品を楽しませてもらった。初日には客席の最後尾で仕上がりを吟味する姿を見かけたこともあった▼いかに観客を増やし、劇団経営を安定させるか―。浅利さんの結論は演劇を分かってもらうこと。台本はこなれた日本語で、セリフは明確に伝わらないといけない▼そのため四季の俳優には一語一語を明瞭に発音する「母音法」と呼ぶ朗唱を徹底的に訓練した。セリフは客席の後ろまで届き、今では演劇界の常識とされる。しかし当時は「四季節(ぶし)」とからかわれた▼女優の加賀まりこさんは蜷川幸雄さんに「やっぱり違うなあ、四季にいたんだもんな」と、自身の発声を褒められたという(松崎哲久著「劇団四季と浅利慶太」文春新書)▼中曽根康弘氏ら政治家と親しかった浅利さんである。1983年の日米首脳会談では日の出山荘を舞台に設定。見事に「ロン・ヤス会談」を演出した▼先週閉幕した国会で、閣僚や官僚たちは意味不明の答弁や説明を臆面もなく繰り返した。国民の不興を買ったお歴々に、浅利さんから「母音法」をとことん伝授してほしかった。今となってはかなわぬ夢である。

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