新たに見つかった坂本龍馬の書状

新たに見つかった坂本龍馬の書状

 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。大政奉還後の新政府樹立に向け奔走する中、財政手腕を高く評価していた同藩士三岡八郎(後の由利公正)を一日も早く出仕させるよう、「新国家」という言葉を使いながら懇願した内容。専門家は「龍馬の活躍や幕末における福井藩の役割の大きさが分かり、幕末史や龍馬研究の進展が期待できる重要な史料」と評価している。

 書状は縦約16センチ、横約92センチの和紙に毛筆書き。書状を包んでいた封紙に龍馬が偽名として使った「才谷楳太郎」と記され、本文中は「龍馬」の書名があった。

 140点以上あるとされる龍馬の書状の中で、「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。

 日付は11月10日。10月14日の徳川慶喜による朝廷への大政奉還を受けて、坂本や土佐藩重臣の後藤象二郎らは朝廷中心の新政府樹立に向けた活動を活発化させていた。

 こうした中、前福井藩主松平春嶽が11月8日、京都の福井藩邸に到着。書状は同じく上京し同藩邸にいた中根に出され、「(春嶽の)上京は千万の兵を得たような心持ち」とし、中根の尽力に感謝している。

 その一方、福井藩の内部事情で「急を要する」三岡の上京、出仕が進まないため、「三岡の上京が一日先になると、新国家の家計(財政)の成立が一日先になる」とまで記し、中根に三岡の上京を藩として早急に許可するよう訴えている。

 龍馬は新政府に財源がないことを憂い、福井藩の財政再建を成し遂げた三岡を新政府の財政担当者にと構想。10月下旬から福井を訪れ、藩の政治問題に絡んだ処分で幽閉中の三岡と同月30日に面会した。11月5日に京都へ戻り、会談の様子や三岡への高い評価を記した後藤象二郎宛ての「越行の記」を執筆。3年前に草稿が発見され、今回はこれに続く書状とみられる。

 三岡は一月あまり後の12月半ばになって新政府に出仕。太政官札を発行するなど財政責任者として活躍した。

 今回の書状を分析した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の他の手紙にはない、『新国家』という言葉が使われているのが貴重。龍馬が死の直前まで新国家建設に専心していた様子をよく示している」と話している。

 書状は昨年8月、東京の企画会社isanaが京都国立博物館に持ち込み、複数の専門家が筆跡などから真筆と判断した。入手経緯やこれまでの保管状況は明らかにしていない。

 今年は龍馬暗殺や大政奉還から150年。書状は高知県で開かれる「志国高知幕末維新博」に合わせ、3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で一般公開される。


 ■龍馬の書状 読み下し

 一筆啓上差し上げます。

 このたび越前の老侯(松平春嶽)がご上京に成られたことは千万の兵を得たような心持ちでございます。

 先生(中根雪江)にも諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。

 しかしながら先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要することと思っておりますので、なにとぞ早々に(福井藩の)ご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。

 ただ、ここの所にひたすらご尽力をお願いいたします。

 誠恐謹言

 十一月十日 

 龍馬

 中根先生

 左右

 追白 今日永井玄蕃頭方へ尋ねていったのですが御面会はかないませんでした。

 (永井殿と)談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。

 再拝

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