88歳の今も年1、2本の作品を作り続けているクリヨウジさん=東京都千代田区のアトリエ

 大正時代に日本初のアニメーション映画「芋川椋三玄関番(いもかわむくぞうげんかんばん)の巻」「なまくら刀」が作られて今年で100年。戦後、テレビという活躍の場を得た日本のアニメは独自の進化を遂げ、作品の質・量はもちろん、ファン層の厚さでも他の追随を許さないアニメ大国となった。1年間に制作される新作アニメは200本以上になる。勃興を見つめてきた福井県出身の巨匠に話を聞いた。

 ■アニメーション作家 クリヨウジさん(福井県鯖江市出身)

 アニメーションを始めたきっかけは小学2年生の頃。複葉機がバーンと壊れるパラパラ漫画を教科書の隅に描いた。アニメの知識は無かったけれど、「絵が動く」という原理を無意識に覚えたんだね。

 本格的に始めたのは、結婚後の28歳の時。まだ「アニメ」という言葉も無い時代。機材も無い、撮影の仕方も分からない。試行錯誤だったけれど、自分が描いた絵が動きだすことが、ただただ面白くて夢中になった。

 「アニメーション」という言葉を唱えたのは、真鍋博と柳原良平と僕でつくった「アニメーション三人の会」。昔は「漫画映画」と言っていた。説明するにも一苦労。いうなれば、死んだ生物を生きたように見せるのがアニメ。無生物に魂を与えて、動いたように見せる。茶わんでも動けば生きたように見える感じで。

 これまでに1〜30分の短編を700本以上作った。僕の作るアート・アニメには言葉がない。音楽とアイデアだけの世界共通語。ストーリーのあるアニメとは違って、物語の先が分からない、大人なアニメにこだわっている。

 1960年代、手塚治虫にもアニメを勧めた。手塚君は自作漫画の「鉄腕アトム」のアニメを作るようになり、やがて子ども向けアニメの時代がやってきた。僕は大人のアート・アニメを追求したかったが、アニメ=「子どもアニメ」になってしまった。僕はNHK「みんなのうた」のアニメーションを作り始めた。

 アニメに携わって60年。88歳の今でも、1〜2分の作品を年に1本は作っている。今はぼーっと空想しながら寝ている時間が好き。空想を現実化できるのがアニメだから。

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