坂井市丸岡町出身の作家、中野重治の妹で詩人の中野鈴子に送られ、没後は県外に預けられていた手紙など八十八点がこのほど、鈴子研究者の大牧冨士夫さん(79)=岐阜県在住=から同市丸岡図書館に寄贈され、帰郷を果たした。差出人は重治の妻、原泉や友人で作家の壺井栄らで、鈴子の暮らしぶりや交友関係、文学的生涯がうかがえる貴重な資料。重治が、作家・佐多稲子を介して鈴子の作品を批評した手紙もある。

 鈴子は一九○六年、高椋村(現在の坂井市丸岡町)に生まれた。二十三歳で重治の支援を受け上京、プロレタリア文学運動に参加。戦後は古里へ帰り、農民詩人として詩作を続け、文芸雑誌「ゆきのした」の創刊にかかわった。五八年に亡くなっている。

 寄贈された手紙は、三八年ごろから五五年ごろまでに鈴子に届けられた八十八通。半数は原、壺井栄・繁治夫婦、佐多から送られている。原が手元に置いていたもので、重治没後に遺品整理の一環で大牧さんに預けられた。高齢となった大牧さんが、重治の長女、鰀目(えのめ)卯女(うめ)さんの了承を得て、昨夏のくちなし忌で来福した際に同図書館に寄贈を申し出た。

 十五通ある原からの手紙では、重治の近況を知らせたものが多い。重治が二度目の参院選に出馬した際には四通の封書が届けられ、うち一通には鈴子が重治の選挙応援のため街頭に立ったことに対し、「あなたとしては一大飛ヤクだったでせうが将来大きな収穫が得られることと確信いたします。フレー、フレー」などと感謝の言葉がつづられている。

 最も多いのは佐多からで二十一通。このうち一通には、鈴子の自伝的小説「記」について、重治が感想、批評を佐多あてに書き送った手紙が同封されていた。重治の鈴子に対する思いもしのばれる貴重な資料。壺井栄、繁治からの手紙はそれぞれ三通ずつが残されており、栄からの手紙からは当時の交流の様子がうかがえる。

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