「静かな雨」について「主人公にとっても、私のデビュー作という意味でも『始まりの物語』」と語る宮下奈都さん

「静かな雨」(文藝春秋)

 福井市在住の作家、宮下奈都さんのデビュー作「静かな雨」が単行本となって文藝春秋から刊行された。2004年の文学界新人賞佳作に選ばれた恋物語で、人の可能性とは何かを問い掛ける。テーマや森、音楽などの表現からは、今年4月に本屋大賞を受賞した長編小説「羊と鋼の森」をはじめ、その後発表してきた作品の芽がいくつも見て取れる。

 同大賞受賞後初の一冊で、単行本としては16冊目。

 物語は、大学の研究室で働く生まれつき足が少し不自由な男性と、短期間しか新しい記憶を留めておけない女性が静かに恋を育んでいく。迷い、悩みながらも、凛(りん)として前に進む2人。「主人公は自分の人生と彼女の人生を受け止める。2人の始まりと同時に、私にとっても小説家としての始まりの物語です」と宮下さんは話す。

 3人目の子がおなかにいた36歳のときに書いた人生初の小説。文芸誌「文学界」で発表された。「書きたいことを迷いながらつないだ」と言い、読者はあまり意識しなかった。自分のおなかの子や小さな2人の子どもへの思いを登場人物に語らせた。「0歳児は今笑っていることが記憶に残らなくても、心の揺れが積み重なってかたちづくられているんじゃないかと思っていた。今を大事に子どもと生きていこう。お母さんはこう考えているのよ、と伝えたかった」と振り返る。

 今回の出版に当たって十数年ぶりに読み返し、「成長してなくて恥ずかしい」と笑う。同時に「私は私なんだ、小手先で変えられるものじゃない」と思った。北海道を舞台にした「羊—」はトムラウシ(北海道新得町)に1年住んだことで書けたと考えていたが、福井市内で執筆した「静かな雨」にも「匂い、季節、時間の、それぞれ好きなところが詰まっていた」という。人の可能性を探るテーマも両方に通じる。「全く違う物語なのに『羊と鋼の森』にまっすぐにつながっていた」と改めて驚いた。単行本では、加筆は最小限にし、作家としての原点をほぼそのままに読ませる。

 今年は、注目度が一気に高まった。来年度のNHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲の作詞を委嘱され、全国の書店でトークショーをこなすなど走り続けた。宮下さんは「できない経験がたくさんできた1年だった。この年に、デビュー作を1冊にしてもらえてありがたく思っている」と話している。年明けから7月にかけて、3冊の単行本が文庫化される。

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