【越山若水】ことしは維新から150年だが、幕末や明治の空気が匂い立つような福井の先人に日本赤十字社病院初代院長の橋本綱常がいる。1845年旧暦6月20日が誕生日だから、ちょうど今ごろの季節に生を受けた▼外科医として名をはせ、同病院編「橋本綱常先生」によると、患者に伊藤博文、山縣有朋らがいた。先を見通す眼力も兄・左内に似て鋭かったらしい▼福井藩医だった20歳そこそこのころ、最新の病院をつくろうと、器具600両分を独断で発注した。藩は驚き、買い受けを拒否。宙に浮いた器具の大部分はやむなく、つてを頼って売りさばいた▼ところが間もなく戊辰戦争が始まった。軍陣の外科器具が急きょ必要になって藩は困ったが、綱常は手元に器具をひそかに残しており、大いに兵を助けた▼後進もよく育て、手術見学は戦時や災害時を考慮し内科医も呼び入れた。技術は人のために役立ってこそ価値があると知り抜いた人だった。手術で患者を死なせた時は数日引きこもった▼西日本豪雨のダム操作を「適切」と言っていた国土交通省がようやく検証作業を始めた。適切とは規則通りとの意味だろうが、放流後の氾濫で犠牲が出た結果の前にはむなしく響く▼現場担当者には歯がみするほどの悔しさがあると信じたいし、そこから治水技術の進歩を図る以外ない。綱常ならばきっとそうしたはずである。

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