楞厳寺の墓地に今も残る松平忠直の「隠し墓」=福井市大村町

 大坂夏の陣で、真田信繁(幸村)を討ち取った越前隊を率いた2代目福井藩主・松平忠直の「隠し墓」と伝えられる遺構が、福井市の文殊山に残っている。同山ふもとの楞厳寺(りょうごんじ)(同市大村町)の墓地にあり、正式な調査はされたことがなく、知る人ぞ知る存在。NHK大河ドラマ「真田丸」では、間もなく注目の夏の陣のシーンを迎える中、隠し墓は今もひっそりとたたずんでいる。

 隠し墓は、旧登山道沿いの福井藩士や同寺の代々の住職が葬られている墓地にある。笏谷石製で、高さは1・5メートルほど。石室の上に石塔が載せられている。隣には福井藩の重臣、狛澄孝(こますみたか)の墓があり、戒名や没年が刻まれているが、隠し墓には何も彫られていない。石室の中も空っぽで、忠直との関連を裏付けるものは見つかっていないという。

 忠直率いる越前隊は、1615年の夏の陣で信繁を討ち取り、大坂城一番乗りを果たす功績を挙げた。しかし恩賞に不満を募らせた忠直は参勤交代を怠るなどしたため23年、豊後国(現在の大分県)に配流(はいる)され50年、死去した。墓所は大分市の浄土寺と東京の浄土寺にある。

 楞厳寺住職の徳毛祐彦さん(70)は「文献に記述はなく、いつ建てられたものかもはっきりとしない」とし、代々、口伝で忠直の墓とされてきたという。配流された忠直を敬うと、藩が幕府ににらまれる可能性もあったため「忠直公と分かる証拠を残さず、ひそかに供養していたのではないか」と推測する。

 暴君として知られる忠直の名誉を回復しようと勉強会などを開いている「松平忠直卿に光をあてる会」の宮下一志さん(79)も隠し墓を訪れたことがあり、「忠直をふびんに思った家臣が建てた可能性はある」とする。越前松平家菩提(ぼだい)所の大安禅寺(福井市)にも、忠直の墓はない。

 配流された大分では「一伯さま」と呼ばれ、名君として親しまれている。宮下さんは「忠直は乱行を重ねたとされている。隠し墓だとすると、幕府の目を盗んでまで建てるほど、実際は慕われていた名君だったのではないか」と話している。

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