103点の版画を集めたピカソ展。越前和紙に刷られた作品がある可能性もある=7月14日、福井県立美術館

 ピカソは越前和紙を愛用していた―。知る人ぞ知るこの話は、戦前からパリで活動し成功を収めた日本人画家藤田嗣治が証言し、人間国宝の越前和紙職人岩野市兵衛さん(84)=福井県越前市=の父、8代目市兵衛に伝わったものらしい。海を渡り、海外でも多くの版画家に愛されていた越前生漉奉書は、20世紀最大の芸術家をも魅了したのか。県立美術館の版画展開幕を機に真相を探った。

 第2次世界大戦が終結した直後、駐留米軍の軍人が帰国する際の土産として、軽くてかさばらない浮世絵が人気を集めた。1947年にシベリア抑留から帰還した先代は、木版画紙の需要に目を付け、中央へ出かけて用紙の供給を引き受けた。家業は多忙を極め、中学生だった岩野さんも紙づくりにかり出された。

 岩野さんによると、国内外で奉書紙の版画紙としての評価が高まる中、藤田のいとこで華道家の岩田清道が訪ねてきたという。「パリの藤田へ送ってやりたい」と数十枚を買い求めていった。

 「手漉和紙大鑑第二巻」(毎日新聞社)に記された先代の回顧録によると、ピカソと親交のあった藤田は、ピカソが使っている紙を長年知りたがっていた。「フランスかイタリアか」と尋ねても、ピカソはにこにこ笑うばかり。出どころはとうとう教えてもらえなかった。

 後に岩田から奉書紙を入手した藤田はピカソを訪ね「日本にもこんなに良い紙がある」と誇らしげに見せた。そのとき、ピカソも同じ奉書紙を使っていることに気付いたのだという。「それで藤田先生の話が岩田さんを通じて親父に伝わった。ピカソはきっと、日本人なのに日本の紙を知らないのかと笑っていたんだろうと」(岩野さん)

 では、ピカソはどこから奉書紙を手に入れたのか。手漉和紙大鑑によると先代は「ピカソは私が輸出したドイツのベルク商会あたりから買っていたようだ」と語っている。これを裏付けるように岩野さんは50年代、先代が2年間にわたり「輸出用」と称して奉書紙としては大きい二三判を漉いていた姿を見ている。

 「確かなことは分からないが、藤田先生はピカソがうちの紙を使っていたと信じていたようだ」と岩野さん。県立美術館の企画展には、奉書紙に刷られた作品が“里帰り”しているかもしれない。

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