折口信夫はこの常世国から時を定めて寄り来す異貌の人々をマレビト(客人)と名付けたが、そのマレビトは常世国で生活している祖霊たちが神に姿を変えたものだ。そして私たちにも、条件さえそろえば、浦島太郎のように、生きたまま常世の国へわたることもできるのであるという。いうなれば、常世とは、神ながらの明るい生活を送っていた古代人が生み出した、おおらかな他界観であったという。そこには天国も地獄も、まだ発生していなかったのだという。

 そしてこのようなオウシマ論は、舞鶴の沖、会場30キロの若狭湾にある、沓島、冠島は、別称、小島、大島と記され、沓島(小島)=女島=艮の金神=国常立尊。 冠島(大島)=男島=龍宮の乙姫様=玉依姫という二つの島もそれに相当するという。

 そして、この二島は、「丹後国風土記逸文」に出てくる、かの水江の浦の嶼子、すなわち、浦島太郎の伝説と結びつくという。そして、沓島、冠島は常世の島としての、オウシマの性格を持つのだという。そしてあの浦島伝説の龍宮城に比定される島だという。浦島太郎が訪ねた龍宮城は海の中にあると思われると思いますが、それは、「海中」を「わたなか」と訓む(よむ)か「かいちゅう」と音読するかによって、捉え方が違ってきて、本来の‘龍宮城’はあくまでも<わたなか>に浮かぶ島であるという。『風土記』によると丹後国与謝の郡の日置の里の筒川の民である浦島太郎は乙姫(亀比売)から、彼女ら(亀一族=おそらく亀をトーテム・象徴として崇拝する土族)が住む蓬山(とこよ)へ行こう、と誘われて「海中の博く大きなる島」に到着するのであるという。龍宮城の原型は、常世の島であったというのである。
そして、望郷の思いに駆られ、お土産に玉匣(たまくしげ)をもらって帰郷する。しかし、「あけるな」といわれた‘常世の魂’がはいっているという箱を開けてしまうのです。

 ちなみに<乙姫>とは、<音秘め>に通じ、宇宙の開闢・生成・発展の神理が秘められている宇宙の根源ともいうべき‘オトタマ(音霊)=コトタマ(言霊)’の神理なのだというのです。

 だとすれば… 、福井の雄島と亀島(雌島)の海中(わたなか)は‘龍宮城’で、そこは‘常世の国’ということにもなるというのでしょうか・・・。

 だから、シュタイナー研修で、講師の先生が福井に来られた折、参加者みんなで、先生が言われたその島に行こうとしていた時 ‘そんな遠く(沓島、冠島)に行かなくてもいいのですよ。加藤さんの育ったところはどこですか?’と、聞かれたのでしょうか。・・・なぜそんなことを聞かれるのだろうと、不思議な思いにつつまれたまま過ごしてきていたのでした。

<鬼が島とは>

 さて話は桃太郎の世界に移ります。桃太郎のお話には、いぬ、さる、きじを家来に連れた桃太郎は、鬼ヶ島の鬼征伐に出かけます。

 鬼とは、鬼ヶ島とは一体何をさすのでしょう。

 5、6年も前になることと思いますが、シュタイナーの教育やその背景となる思想について長らく共に学んでこられた方から、『民話、叡智の宇宙 ―てんは みずからたすくるものをたすく― 金井 朋子』(今日の話題社)という本が送られてきました。この本の基稿となるものはずっと以前に、名古屋の友人の保育園で講演された昔話の読み解きの「講演録」とか,「研究紀要」として私的に印刷されていて、ご本人から直接いただいていたのです。今回、こうしてきちんとした本として、出していただきましたので、ようやく,その内容を皆様にご紹介できるようになりました。

 「真のメルヘン」の背後には霊的な体験が横たわっている。すなわちメルヘンの中に霊的な内容を込めた人々がいた」とシュタイナーは捉えます。そういうものには12通りの解釈ができるといわれています。日本の昔ばなしにもこの事が言えると思うのです。と著者である金井氏は書かれていて、講演でもいつも言われることです。

 まずは、その著書や講演録の――桃太郎の昔ばなしと通りゃんせのわらべ唄に秘められた叡智と教育的意義――(1992年京都文教短期大学・研究紀要)の<鬼ヶ島と天満宮>に書かれていることからご紹介したいと思います。

 ――この鬼ヶ島とか、鬼は一体何を意味しているのでしょうか。

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