「成果を出したい」「もっと強くなりたい」。仕事における成果と評価を求め、人は努力を積み重ねます。しかしそこで必要となる大前提を忘れている人が多いと、麻雀プロ生活30周年を迎え、なお勝ち続ける土田浩翔氏は、警鐘を鳴らします。

 競技麻雀やメディア対局でさまざまなタイトルを獲得してきた土田氏ですが、ある時期から勝つたびに心が虚しくなってきたと言います。『「運」を育てる』の著者でもある土田氏が行き着いた「勝つことの真の目的」とは——。

■認めたくない自分を書き出す。そして受け入れる

 20代の頃の私は、勝てば官軍、負ければ賊軍。単に勝つことだけに邁進していたので、麻雀を打っているときの様は、人として最悪中の最悪でした。麻雀は、最終的に点棒をいちばん多く持った者が勝ちとなります。したがってデータ収集と分析に基づき、勝つことに向かって効率と確率だけを追い求めて日々を過ごしていました。牌譜(将棋で言えば棋譜)分析ノートは300冊をゆうに超え、そこから導き出されたセオリーこそが絶対だと信じていました。

 その頃に同卓してくれた人はよく知っていると思うのですが、感情むき出しで卓につき、嫌なことをされたら倍返しで応戦していたのです。相手に腹を立てる人間的な未熟さゆえに「なんでそんな牌を切るんだ!」なんて平気で言っていたのです。しかも勝っていたがゆえに、負けた人の気持ちを考えたこともなかったのです。今思えば本当に愚かな打ち手です。

 そういった目に余る私の態度を真剣に叱ってくれた先輩プロがいました。このままではいかんと猛省した私は、当時参戦していたリーグ昇格を機に、ウィークポイント(弱さと欠点)の改善に本気で着手しました。

 改善するためには、書き出していくしかないと思い立ち、麻雀の打ち方をはじめ日常生活まで、あらゆる自分のウィークポイントをノートに書き出し始めました。日記だと負担になるので週に一度、大学ノートに書き出していきました。

 実際に書き出していくと、認めたくない自分が次から次へと出てくるので、縦欄に箇条書きにしていきました。横欄には最初に書き出した日付を入れ、改善もしくは改善に向けてチャレンジしたときには、日付を書き足し、どう改善したのか、何をきっかけに改善したのか、どんな改善方法だったのかをメモしていきました。

■醜い自分をさらけ出すことができれば修復可能

 このノートは、自分のウィークポイントカレンダーになっていきました。「2015年の7月に改善できた」「10月にまた戻った」「11月に見た映画がきっかけで改善できた」といった具合です。

 認めたくないことこそ書き出し、受け入れる。自覚することが、ウィークポイント克服への第一歩となったのです。

 認めたくない数多くあるウィークポイントの中に“短気”がありました。短気を自覚してはいたものの、一日中打っていることが多かったので、いったん心が乱れると頭が真っ白になり、少なくともその対局中は修正不能。自制していた神経の一部がぱーんと切れていく感じがあり、いかん、いかんとは思っても、コントロールできないのです。

 正直50代になった今でも、そういう状態になってしまうことはときどきあります。ただその都度、書き出してきたので、修復速度はかなり早まりました。麻雀で言えば、3巡以内が理想ですが、今はほぼ6巡以内に修復できています。1日中修復できなかった以前から比べたら、6巡以内にまで短縮できたのは、年齢とキャリアの積み重ねかもしれません。

 ただ私の経験上、若い人たちがキレてしまったときには、無理に立て直そうとしないほうがいいと思います。自分がどれだけだめな人間になれるのかを、限界までさらけ出してしまったほうがいいのです。

 この場合、下手にブレーキはかけずに、一切合切さらけ出してしまうのです。そして自分がどこまでさらけ出せたのかを確認する。この認識が自覚への大きな一歩となります。下手に加減すると、認め方が中途半端になるので、どこを直せばいいのかがわからなくなってしまう危険性があります。

 

 「今日はさらけ出すぞ!」ぐらいに思って、1局もしくは、1日という時間を使って自分の醜い部分をさらけ出す。キレ始めると相手もだんだん触れてこなくなるものです。でも1日、対局が終わった後に「今日はごめんな」と言えたらもう大丈夫です。

 誰しも自分がかわいいので、己の非を認めることはなかなかできないものです。謝罪の言葉を伝えることができたら、もう改善可能な状態です。「俺はキレてない!」では決して直りません。これではまたすぐにキレてしまう可能性があります。「自分はキレてしまう可能性はあるけど、今日は出ませんでした。ほっとしています」ぐらいが言えたら大したものです。

 私はなかなか言えませんでした。非のある自分を認めたくない。たまたまそんな自分だったけれど過去形にしようとしたものです。これでは改善できません。まずは自ら非を認める。そうすると相手にも認めてもらえるのです。「そうだよな。おまえ態度悪かったよな」と言ってもらえたら、すでに改善が始まっています。

 負けた人の気持ちを考えたこともなかった私でしたが、ウィークポイントカレンダーによって、負けた人たちの心の推移がわかるようになり、その気持ちを慮れるようになっていきました。

 自身の恥ずべき弱さと欠点を認めることができてからは、目も当てられなかった心の醜い部分が、卓上に出なくなったのです。そして負けたときにこそ、本当の自分に出会えていたことにも気づいたのです。

■大前提は「愛される人になる」こと

 相手の気持ちに寄り添うためには、相手の立場に立って考える想像力が不可欠になります。今、相手は何を望んでいるのか。この立ち居振る舞いは相手を不快にさせないか。

 ただ、そこで、自己利益が目的になってしまうと、自分のために相手にこうしてあげるという損得勘定が入り込んでしまいます。

 損得勘定は、それが透けて見えたときに、相手を不快な気持ちにさせます。それでは勝ちに近づくどころか、遠ざかってしまいます。真の勝利とは、自分が勝っても負けても、相手に、また会いたい、また一緒に打ちたいと思ってもらうことです。自分がどんなに強くても、相手をしてくれる人がいなければ、勝負は成立しません。「自分が、自分が」ではなく、相手あっての自分なのです。また、相手のためを思って何かを行ったとしても、余計なことだったなんてこともままあります。それをこんなにしてあげたのになんでわかってくれないの?では、相手に認めてもらおうという損得勘定で動いているだけです。そういうこともあるんだな、と思っていればいいだけなのです。

 そう思えるようになるためには、普段の生活の中で物に対して愛情を注いでいくことが大切になってきます。物は見返りを求めてはこないからです。麻雀プロである私は、牌や卓を擬人化し、愛情を注いでいます。「今日も麻雀を打たせてくれてありがとう」。牌と卓が無ければ、麻雀は打てないわけです。その牌や卓を作ってくれている人がいるわけです。その人たちに感謝の気持ちを持ちながら、麻雀という摩訶不思議なゲームを作ってくれた人と歴史に感謝をしながら、麻雀を打つわけです。

■「アイツだけには負けたくない」はすでに負けている

 対局中に「アイツだけには負けたくない」なんてそう思った瞬間、すでに負けている理由はここにあります。技術や強さを求めるのではなく、物に対して優しさと美しさを求めていく。そうすれば物からも愛され、結果としてうまくなり、強くもなれるのです。

 私は、強くなるためにも、うまくなるためにも、必要な大前提とは、物からも人からも「愛される人になること」だと考えています。

 目先の勝ち負けを追求するための小手先の技術論は結局のところ、そこまで重要ではありません。場当たり的なテクニックを駆使し、目先の勝ち負けのために牌たちを操る。技術論や比較論から脱却し、確率論や効率論といった数字の世界=損得勘定から離れないかぎり、牌たちから愛されることはありません。

 牌の数は136枚。そのうち字牌は28枚。残りの数牌は108枚。そうです。煩悩の数と同じです。確率論、効率論、そして自己利益。心身を悩まし、苦しめ、煩わせる煩悩に心を奪われてはならない戒めなのです。

 そんな牌たちから教わったことのひとつに「安全な選択に成長無し」があります。楽な選択をしても、決していい結果は生まれない。牌たちから教わった明快な答えです。

■迷ったら、苦しいほうを選択する

 麻雀も日常も選択と決断の連続です。「迷ったら、苦しいほうを選択する」。

 これを習慣にしていかないと、自分が伸びていくことはありません。つねに苦しいほう、もしくは面倒なほうを選択したほうがいいのです。

 楽な選択をしてしまうと、自分ひとりになったときに元の自分に戻ってしまうものです。負荷がかかることを怖れ、今までどおりに戻ったら進歩はありません。この意識を習慣にしていくためには、決断し、行動に移したら途中でやめない癖をつけていくことが大切になります。

 人生の選択においても「いや、間違った、ちょっと待って」が無いのと同じで、麻雀においてもリプレイとなる巻き戻しはありません。今回はやめておいて、次回また機会があったらやってみよう。この選択もだめです。選択に「また」はありません。結論を先延ばししているにすぎません。

 失敗をしながら成長していくのが人間です。成長のためには失敗体験が必要なのです。成功も失敗も挑戦からしか生まれません。だから麻雀を打つときには、つねに負荷をかけて打っていく必要があるのです。

 「第一打に字牌を切らない」私が自分に課している負荷のひとつです。麻雀では、字牌(東、南、西、北、白、發、中)から切っていくのが一般的な打ち筋ですが、私はあえてそれをやらないのです。

 こうして日常においても、勝つことよりも克つことを目指すようになってからは、心が豊かになっていると感じています。これからも牌から愛される打ち手であり続けたいものです。(土田浩翔:最高位戦日本プロ麻雀協会特別顧問)

 構成:福山純生(雀聖アワー)

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