福井市の足羽川幸橋から明里橋周辺の南側河川敷には、1897年まで多くの桃の木が植えられていた。江戸中期の絵図ではピンクの花が河川敷を彩り、現在の桜並木に劣らない風景だったことを伝えている。当時は堤防がなく、一帯はまさに「桃の園」で、現在の地区名「桃園」の由来となった。木は同年からの河川改修で撤去、築かれた堤防の上に桜並木が植えられた。

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