公開練習で「福井にメダルを持って帰りたい」と決意を示す脇本雄太選手=4月27日、福井市の福井競輪場

 高校から自転車競技を始めた。母子家庭で「お金がかかるから」と思い悩んでいたとき、続けられるよう背中を押してくれたのは亡き母と恩師だった。日本時間16、17日に行われるリオデジャネイロ五輪の自転車男子ケイリン。日本代表の脇本雄太選手(27)=福井・科学技術高出身、日本競輪選手会福井支部=は亡き母、きょうだい、恩師への思いを胸に突っ走る。

 競技を始めて1年。高校2年のとき、学校で借りている自転車が体に合わなくなった。そんなとき母幸子さんが新しい自転車を買ってくれた。約35万円。決して安くはなかった。

 高校2年の国体で1000メートルタイムトライアル優勝。「日本一になったんだから次は世界一になりなさい」。親孝行したいと、いつしかオリンピック出場は母と一緒に追い掛ける目標になった。高校卒業時、大学から誘いを受けたが、5人きょうだいを女手一つで育ててくれた「母に楽をさせてあげたい」。きょうだいにも迷惑をかけたくないと、お金を稼ぎつつ五輪を目指せる競輪選手になった。

 プロとなって3年目の夏。母にがんが見つかり、わずか1年の闘病生活の末に亡くなった。51歳だった。それからは脇本選手が一家の大黒柱となり、金銭面できょうだいの生活を支えた。

 「父」と慕う存在はいる。科学技術高1、2年時の自転車部監督、辻正男さん(59)=現武生工業高教員=だ。脇本選手は「今の自分があるのは辻先生のおかげ」と言い切る。「お前には才能がある。人一倍努力をすれば国体で優勝できる」。いつもこう励まし、親身になって支えてくれた。そして結果を出し、翌年も国体でタイムトライアルを制した。

 高校時代の練習は超ハードだった。400メートルトラックを300周(120キロ)。「死ぬかと思いました。毎日やってました」。基礎体力、持久力、回転力、トップスピード…。すべてはここで身についた。この五輪は本年度で退職する恩師に“恩返し”する場だ。

 「練習で決して手を抜かなかった。つらいと言ったことを聞いたことがない」。辻さんははっきり覚えている。当時はきゃしゃで、素直な優しい子だった。それでいて勝負に対するハングリーさ、貪欲さは人一倍あった。

 いつもおなかをすかせていた。妻におにぎりを作らせ、朝練の時にいつも食べさせた。中学時代にスポーツ経験のない脇本を「一から育てた。テストの度に漢字(勉強)もよーく教えたなあ」。笑顔で振り返る。

 「あいつはいつも人を支えたいという思いが強い。だから強いんだ」と辻さん。自分の得意パターンで優勝を目指せ。日本で応援している。

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