【論説】約3800人の犠牲者を出した福井地震から、28日で70年。典型的な都市直下型地震で、被災範囲は局所的ながら、人口に対する死傷者数の割合や建物被害率などが極めて高い惨禍だった。きょうという節目を、防災意識を改めて高め、災害に備える教訓を見いだしていく契機としたい。

 地震の1年後に福井県は「福井震災誌」を発刊している。700ページを超えるものだが、混乱の中、編さん決定から半年で完成した。被害や救護活動、復興状況など詳細なデータに加え、被災対応の最前線にいた官民担当者による寄稿や対談などを多数収めた、生々しい貴重な記録である。

 例えばある県議は、「太平の夢を見過ぎた」と厳しい題の記事で耐震建築の遅れを指摘した。県の課長は地震前年に施行された災害救助法について「他人事のような気持ちでか、身を入れた研究が十分といえなかった」と吐露。別の県課長は「(政府の)災害に不慣れな課は、復旧予算要求が遅れて不利」と批判した。

 多発した火災については有効な消火活動がなかったと複数の寄稿者が触れ、ある福井市の課長は知識不足から多くの人々が傍観者になってしまったと嘆いている。約1カ月後の九頭竜川水害に関しては、傷んだ堤防などの修理を求める声が地震直後からあったとの証言を記録。「県が何とかやってくれたらあの水害は受けなかった」との県への非難も掲載している。

 当時の小幡治和知事は序文で「皆が筆をとって書きなぐったものをそのまま記録するところに価値ありと断じた」と記した。このためか文章のいくつかはとげとげしい印象さえあるが、その分、地震の実相を残したいとの気迫にあふれる。いち早くありのままの記録を残し、以後の県内外での地震対応に役立てなければ、という危機意識が、トップから現場まで共有されていたことが伝わってくる。

 10日前の大阪府北部地震では、人口密集地でありながら犠牲者数が福井地震に比べてはるかに少なかった。全体的には、ハード面の社会の備えが進んできた証しではある。

 しかし、学校施設のブロック塀倒壊が子どもを犠牲にした痛恨事を見れば、関係者に危機意識が乏しかったというほかない。専門家から危険の指摘を受けていながら、おざなりの点検しか行っていなかった。

 福井県内でも基準に適合していないブロック塀が49校で見つかり、劣化・損傷の激しいものも18校で発見された。県教委は、撤去などの対応をいつまでに取るのか早急に詰めるべきだ。

 危機意識は、あらゆる機会を通じて新たにしていかなければ、やがて薄れる。福井地震を記録した70年前の人たちは、それを教えてくれているのではないか。

 震災誌で当時の県会副議長渡辺捨吉氏はこう記している。「今日の復興ぶりにも…目を光らせて見れば、何かとまだ水のもれるような穴がたくさん見られるのである。私たちは日々、この穴埋めにかかっている」

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