【越山若水】70年前のあの日も汗がじっとりにじむ暑さだった。「午後五時十五分、梅雨蒸しの夕茜(あかね)の時間、ごーっと落下するエレベーターのようにあの大烈震が来襲した」▼福井県初の芥川賞作家、多田裕計は1948年6月28日の福井地震の恐怖を小説「荒野と雲雀(ひばり)」にそう書いた。時刻は正確にはサマータイムの5時13分である▼多田は空襲で焼失した実家を自ら木を切り出し新築した。しかしその家は予期せぬ大地震で「難破船のように地上に屋根だけを敲(たた)きつけて無残な姿」に成り果てた▼戦火の東京を逃れ郷里の福井市に疎開したが、そこもまた米軍機B29の空襲でほぼ全滅した。住民の懸命の復興をあざ笑うかのように、再び「大地は地鳴りを上げ…此(こ)の世の地獄を揺さぶり返した」▼まさに泣きっ面に蜂(はち)である。悪夢はこれで終わりではなかった。震災から1カ月後の7月25日。降り続く大雨で九頭竜川の堤防が決壊し、濁流は福井市の6割をのみ込んだ▼内閣府の災害教訓に関する専門調査会は、そのときの豪雨水害も56年後の2004年に起きた福井豪雨も、原因の一つは「福井地震による堤防沈下だった」と指摘している▼要するに地震と豪雨による「複合災害」で、同様の危険性に備えるよう警告している。確かに近ごろは地震、豪雨、土砂崩れなどが至る所で頻発している。福井地震70年をその契機としたい。

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