激しい揺れで中央部が大きく傾いた大和百貨店

火災で燃えた福井鉄道の電車。後方は大和百貨店

地震直後に火災が発生、逃げ惑う福井市民=福井市の幸橋から撮影

線路が大きくうねり運行不能となった国鉄北陸線=細呂木駅(福井県あわら市)付近から撮影、福井地方気象台提供

 福井、石川両県に大きな被害を与えた福井地震が1948年6月28日に発生して70年になる。死者3700人を超え、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災=1995年)が発生するまで第2次大戦後最も大きな被害の地震だった。現在でも戦後3番目の被害。記録では最大震度6とされているが、福井地震がきっかけで震度7(激震)が制定され、実際の震度は7と推定される。その後の地震研究と防災に大きな影響を与えた。

 福井地震についてまとめた。

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 震度

 日本で初めて発生した震度7の大地震

 マグニチュードは7.1 

 発生日時

 1948年(昭和23年)午後4時13分

 発生場所

 福井平野東部の直下にある福井地震断層

 被害

 死者3769人 全壊建物 34000棟 焼失建物4100棟

 九頭竜川の橋が被災し福井県内の交通を遮断

 堤防が沈下し1か月後に九頭竜川豪雨水害を引き起こす

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 第2次大戦が終わって3年足らずGHQが日本に進駐していた1948年6月28日午後5時13分、強烈な揺れが福井県北部を襲った。当時はGHQの指示で夏は1時間時計を進めるサマータイムを導入していたため実際の時間は午後4時13分。まだ明るく暑かった。福井県坂井市丸岡町末政に「福井大地震震源地」の碑が建つ。しかし実際の震源地は確定しておらず、内閣府が2011年に出した災害教訓の継承に関する専門調査会報告書によると地表にははっきりとした断層は見つかなかったものの、厚く堆積した福井平野の下に南北に走る「福井地震断層」と「福井東側地震断層」がありこの断層がずれて起こったと推定されている。

 被害は福井県の坂井市、福井市、あわら市に集中。坂井市では家屋の100%が全壊する集落もあり、福井市も全壊率が80%とこれまでにない激しい揺れがあったことがわかった。福井地震後あらたに震度7(激震)が設けられた。福井地震は当時の記録では震度6だったが、実際の震度は7だった。

 建物の下敷きになった人が多く死者は福井県3728人、石川県41人の3769人。全壊家屋は34000棟。夕食の準備時間だったことから各地で火災が発生、断水、消防施設がまだ貧弱だったことに加え、道路の寸断などで延焼を食い止められず福井市で2407棟が燃えるなど焼失建物は4100棟にもなる大災害だった。福井市中心部にあった7階建ての大和百貨店が中央部でひしゃげて大きく傾くなど鉄筋コンクリートビルの被害も多く、耐震基準を見直すきっかけとなった。日本の木造天守閣として最も古い坂井市丸岡町の丸岡城も崩れた。

 8か月前の1947年10月災害救助法が施行され、福井地震に初めて適用された。しかし当時国鉄が運行していた北陸線も列車の脱線転覆など大きな被害があり福井県内の交通は九頭竜川で遮断され、救援物資の運搬に大きな支障がでた。北陸線復旧まで2か月かかった。

 九頭竜川や足羽川の堤防が沈下。復旧が進まないまま地震から1カ月もたたないうちに梅雨末期の大雨で7月25日九頭竜川左岸の堤防が決壊した。福井市の60%が浸水し、40%の建物が被害に遭う水害が起きた。

 福井市は福井空襲で市街地の多くが焼失、復興の半ばで福井地震が起きてさらに大被害が出た。2度の大災害から立ち上がって新しい街作りを目指そうと「不死鳥のねがい」を市民憲章に掲げている。

 

また内閣府の調査報告書は「福井地震から学ぶ教訓」として

【地震はどこでも発生する】

【地震予知はまだできず不意打ちに発生するが過去の災害に学び教訓を共有する】

【地域の災害環境を知り防災対策をとる】

【建造物の耐震改修を進め地震火災の防御を進める】

【断層など地域の脆弱性を配慮した都市防災を進める】

などを掲げている。

 

70年前に発生した大災害の教訓は現代社会にも生きている。

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