操車場を横断して母を病院に運んだ当時の様子を語る三崎四郎さん=福井県福井市木田町

 1948年の福井地震。福井県福井市木田町に住んでいた当時福井第一高(現藤島高)3年の三崎四郎さん(88)=同市=はその時、斜め向かいの家の玄関にいた。ごう音とともに激しい揺れに襲われ、自宅を含め周りの家がばたばたと倒れた。土ぼこりが舞う中、下敷きにならないよう道の真ん中をはうように逃れた。「世の終わりが来た」と思った。

 5人家族のうち母だけ姿がなかった。台所にいたはずと、落ちた屋根の板をはがすうち「ただし、ただし」と三崎さんの兄の名を呼ぶかすかな声が聞こえてきた。大きな梁(はり)に挟まれて動けずにいた。

 柱をてこに引きずり出したが、太ももが内出血で真っ青だった。「痛い、痛い」と叫び続けていた。父や兄が家の戸板に母を乗せ、国鉄の操車場を突っ切って約500メートル先の病院に運んだ。レールがぐちゃぐちゃに曲がり、貨車がひっくり返っていた。

 病院の庭は、運び込まれたけが人や病棟から飛び出してきた入院患者であふれ返っていた。父と兄は、家の方角に煙が上がっているという知らせを受け、とんぼ返りした。

 母と二人きりになり、家族や自分の将来の話をした記憶がある。そのうちに母の呼吸が荒くなった。「母さん」と必死に呼んだが、苦しそうな状態が何分か続いた後に眼球がころっと動いた。ようやく回ってきた医師が、臨終を告げた。「今から思えば、母は死期が迫っていたことを知っていたのかもしれない」

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