駅の待合室で被災した当時を振り返る布目輝雄さん(右)。隣は妻の鈴子さん=福井県福井市新保2丁目の越前新保駅

 福井地震から3日後、布目輝雄さん(86)=福井県永平寺町=は当時5歳の妹、トシ子さんの亡きがらを背負い、父とともに自宅から火葬場に向かった。玄関前で立ち尽くした家族は、妹の姿が見えなくなるまで見送った。

 4人きょうだいで唯一の女の子だった。長男の輝雄さんにとって、10歳以上離れた妹はかわいくて仕方なかったから、「どうでも自分がおぶっていってやりたかった」。

 割り木を組み上げ、わらを詰めた上に妹をそっと横たえ、火を付けた。目の前で燃え上がる遺体に手を合わせ「南無阿弥陀仏」と見送った。

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 福井農林学校の学生だった輝雄さんは、越前新保駅の駅舎で電車を待っていた時に地震に遭った。

 そろそろホームに出なければと思った瞬間、激しい揺れに襲われた。早く外に出たかったが、走っては転ぶ、走っては転ぶ…。「起き上がり小法師(こぼし)と一緒や」。学生の中で一番最後に飛び出ると同時に駅舎がつぶれた。

 「何事やろうか」。ぼうぜんとなった。ぐるりと見渡すと周辺の家々は全部つぶれ、土煙が上がっていた。

 通称・永平寺街道は倒壊した家が覆いかぶさっていた。がれきの山を登ったり下りたりして自宅を目指した。余震は断続的に起こり、本震で倒壊を免れた家が「ゴオオオオ」と音を立て次々と倒れ、同時にぶわーっと土煙が上がった。「怖いって怖い。一体どうなるんやろう」。恐ろしくて仕方なかった。

 自宅があった場所にたどり着いたときには、2時間くらいたっていただろうか。家族が畑にむしろを敷いて待っていた。「命あったんか」と喜んでくれたが、妹だけが見当たらない。「どうしたんや」と聞くと「ここにいるが」と母親は泣き崩れた。野良着を掛けられた妹の亡きがらだった。倒壊した家の中で、圧迫死したらしかった。

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 輝雄さんは地震後の先が見えない状況を受け、卒業を待たずに学校をやめ、働きだした。その後、縁あって当時の村役場に就職。隣の農協に勤めていた鈴子さんと結婚した。「地震がなかったら、出会ってなかったかも分からん」と笑う。

 地元永平寺町では福井地震体験者の経験を語り継ごうと「福井大震災語り部の会628」が2年前に発足した。夫婦そろって参加し、ほかの会員とともに、つらい経験や隣近所で助け合ったこと、懸命に復興を目指したことを伝えている。

 輝雄さんは「東日本大震災があっても周りはどこか『よそ事』。だけど僕らは(各地で)地震って聞くと70年前が頭をよぎる」。鈴子さんも「目の前の地面が揺れて、道路が割れるなんて経験せんと想像もできないと思う。怖かった思い出をできるかぎり伝えていきたい」と決意を新たにしている。

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