中学生を前に拉致された当時の状況などを話す地村保志さん。言葉から問題解決への強い思いがにじむ=6月12日、福井県小浜市立小浜中学校

 北朝鮮による拉致被害者、地村保志さん(63)=福井県小浜市=の講演による啓発活動が6月12日、市立小浜中学校を皮切りに始まった。当事者しか語れない赤裸々な内容を、関係者は「風化を防ぐ生きた教材」と話す。同日には米朝首脳会談が開催され、トランプ米大統領が拉致問題を提起。安倍晋三首相も日朝首脳会談に意欲を示すなど、拉致問題を巡る動きは激しさを増している。拉致の真相や解決の糸口を探るため、最近の地村さんの発言をテーマごとに追った。

 ■1978年拉致

 「七夕でいい天気だったので星空を見ようと午後8時ごろ、小浜公園展望台に(当時恋人だった富貴恵さんと)行った。4人の(男性)工作員に手錠され袋に入れられた」(2018年6月)

 「展望台へ行く途中、工作員が(歩いて)上がっていくのを見たが、当時は展望台付近にホテルがあり、観光客だと思った」(17年12月)

 「(ゴム)ボート、モーターボート、工作船に乗り移った。移されるたびに、海に放り込まれると思った。死ぬんだと思った」(18年6月)

 「工作船で袋から出された。前に(自分を拉致した)4人が座っていた。サイダーを飲ませてくれた」(同)

 ■北朝鮮の暮らし

 「自由はない。散歩ぐらい。そこらじゅうにある検問所で、通行証を出さないと通れない」(18年6月)

 「拉致は、(拉致した)日本人の名前を使って工作員に情報活動をさせる目的があったが、私たちの名前は日本で公になったため、できなくなった。私は日本語や日本の生活状況を(工作員に)教えていた」(同)

 「家族ができると、北朝鮮の体制の中で、子どもを守らなきゃいけないという気持ちになった。北朝鮮で生きていこうと決心した」(同)

 「拉致されてからの24年は取り戻せない。人生で一番大事な時期だった。悔いが残る」(同)

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